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『Multilingual Subject』 (C.Kramsh) 第1章5節

このパートでの主張の分析のために取り上げられている諸理論について
の知識が不足していたため理解に時間がかかってしまいました。
以下、いろいろ調べて分かったことのまとめと引用を挙げておきます。

Kramshが用いている理論
1、記号論
1-1 パース(チャールズ・サンダース・パース)の
「イコン/インデックス/シンボル」

(1)「イコン」とは,「自らの性質が対象との間に示す類似性によって,しかもその対象が現実 に存在してもしなくても,自分が所有する特性だけで対象に関わるような記号」である。たとえば, 写真や映像,絵画は,主として指示対象との類似性に根拠をおいて成立している記号である。

イコン・インデックス・シンボル ―概念再定義への試み ― 野口良平
『立命館文學』2004 (582),pp.315.

(2)「インデックス」は,「関わりをもつ対象からじっさいに影響をうけることで,その対象に関わるような記号」であり,今,ここに生じる個別的・具体的な事実の指示に用いられる。温度計 が環境の変化を告げる場合,風景の変容が社会変化を告げる場合,疾患が心身状態の変化を告げる 場合などで,自然科学,社会科学,医学などの経験科学の領域で多く用いられている。

同上pp.316. 

(3)「シンボル」は,「対象との類似性や物理的因果関係をかっこにいれて,記号使用者の関心 と約定にもとづいて一般的な対象に関わることのできる記号」である。狭くは,数学の諸記号,憲 法の条文などを指すが,実際には全ての言語表現がシンボル的な記号である。逆に言えば,いかな るシンボルも,なにほどかの程度でイコン性とインデックス性を含んでいる。人間に対して説得力 を持つ(パースの用語で言えば,最終的論理的解釈項を支配しうる)シンボルは,イコン,インデック スが適切な加減で配合されたシンボルである

同上pp.316. 太字強調は引用者による

1-2、レンス・ウィリアム・ディーコンの「シンボル分析」
著作「象徴種」("The Symbolic Species")より

イコンや指標とは異なり、シンボルは恣意的な関係を文化的に理解する必要がある。言語を学ぶということは、本質的に、特定の文化が合意したシンボルとその組み合わせのルールを学ぶことである

Chat GPT-4 による解説

ここで英語母語話者がドイツ語の「Streß(ストレス)」をどのように理解し
母語と目標言語のあいだで行き来して、自分のことばとしていくかという
過程を分析します。

この生徒は、ドイツ語でStreßという言葉が持つ意味、そしてその記号が
指すもの、つまり緊張状態を十分に理解している。彼はまた、この緊張状態が、ßという文字のもつれた形に象徴的に表されていることも見ている。

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)pp77

従来のドイツ語の記号は、ßの象徴的な形に基づく「精神的なもつれ」という主観的な意味合いを、その語義的価値に統合する類推的な用法の出発点となる。
 客観的な意味合い:s-t-r-e-s-s=圧力
 主観的な意味合い: Streß = 心理的なもつれ
アメリカ人の学生がドイツでしばらく過ごすと、彼のこの言葉の使い方は、ドイツ語を母国語とする人々によって与えられる「アメリカ式の疲労」という意味合いを獲得し始め、次のような新しい意味を持つようになるかもしれない:
S-t-r-e-ß=アメリカ式のプレッシャーに伴う精神的なもつれ
あるいは、ドイツ語に習熟するにつれて、この単語は当初の象徴的・指標的意味を失い、プレッシャーや緊張を表す単なるドイツ語の記号になるかもしれない。しかし、次の章で述べるように、この単語は生徒の身体に刻まれたままであり、言語との初期の情緒的接触として、生徒とL2およびL1との関係を彩り続けるのである。

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)pp87-88

この学習者はS-t-r-e-ßという語の客観的意味を辞書的にも理解はしたうえで
米国的な文化背景を持つ「ストレス」という語の意味(つまり仕事に追われ、競争に明け暮れるアメリカの慌ただしいペースに伴う一種の疲労という指標的な意味)

ßという文字のもつれた形から学習者によって類推される
「心理的なもつれ」という主観的な意味を加えている
と分析します。

そしてこのような学びを
主観的な色彩が新たに加わって意味が豊かになり、
それが本来の意味の一部になっている

この単語は生徒の身体に刻まれたままであり、言語との初期の情緒的接触として、生徒とL2およびL1との関係を彩り続ける。
として注目します。

またさらに
言語の象徴的な使用は、「真剣ではない」と切り捨てられるような、
単なる想像の産物ではない。言語手記や学習者の証言によれば、言語学習体験は、学習者を認知的、感情的、道徳的、美学的に巻き込む可能性が高い

と述べ、
そうした体験を持つ言語学習者は
個人を今ここにある責任から解放し、遊び、皮肉、距離、そして主観的な認識と意味のより自由な領域(トリックスターの領域)への言語使用の統合を可能にする
とみなします。

こうした学習者についての記述は、人類学者ヴィクター・ターナーの
「限界(リミナル)」という概念を用いて、その概念の特徴に当てはまるとしています。

ヴィクター・ターナーの「限界」という概念は、儀式と社会変容に関連するものからきている。ターナーはその著書『儀式の過程』の中で、通過儀礼やその他の閾値体験の際に、個人や集団が確立された社会構造や規範の狭間にいることを発見する、限界的状況が発生するという考えを探求している。ターナーの考え方は人類学にとどまらず、心理学、社会学、カルチュラル・スタディーズなどの分野にも影響を及ぼしている。
Pre-Liminal Stage/Liminal Stage/Post-Liminal Stage/振り返り

Chat GPT-4

しかし、ここでもKramshは学習者の目標言語を母語とするスピーチコミュニティはそのような学習者を劣ったものとみなしがちであることを批判しています。

まとめると、記号論は、新しい言語の習得には、記号の従来の解釈と非従来の解釈の間の緊張が含まれることを示唆している。母国語以上に、言語学習者はその緊張を意味をめぐる闘いとして経験する。つまり、従来のシンボル、イコン、インデックスを使用する義務と、自分の言葉で意味を作りたいという願望との間で、共有された社会的・歴史的慣習に基づく客観的な意味と、個人の想像力や創造性に基づく主観的な意味とので。歴史的なものも想像されるものも、言語使用者の身体化された心という生身の現実に刻み込まれることで、現実のものとなる。

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh) pp91.

しかし記号論と人類学的分析概念(リミナル)を用いるだけでは
学習者と目標言語の感情的なつながりを分析するのには十分ではないとして
次節(6節)では認知言語学の「理想化された認知モデル(ICM)」を用いて
学習者がどのように目標言語を好きにまたは嫌いになっていくのかを
紐説きます。

今回は記号論、人類学の知識を勉強したうえで
第1章5節を読み直してみました。
内容の理解だけでもなかなか骨が折れますが、内容把握に取り組むのは
もちろんのこと、論旨や学び自説をより強固で厚みのある
ものにしていくための論文の展開を学ぶトレーニングでもある
と言い聞かせながら挑戦していきます!