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『Multilingual Subject』 (C.Kramsh) 第1章6節~8節

6.認知言語学の理論:自己の理想化された認知モデル

ワトソンがフランス語が表すものを嫌うようになったのに対し、カプランはフランス語が大好きだった理由を説明するには、記号論だけでは不十分である。そのためには、二人の学習者が何に、あるいは誰に共感したのかを説明する理論、つまりプロトタイプ理想化された自己の認知モデルを用いる必要がある。

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)pp92. 太字引用者による

カテゴリー化とプロトタイプについて

カテゴリー化
カテゴリーとは 私たち人間が多くは無意識に取り込んだ情報を身体が整理付け関連付けるという プロセスの帰結である。 何がどのようにカテゴリー化されているかはコミュニティや個人によって異なりを見せる。形式的には同じとみなされる情報でもそれが認知されカテゴリー化される際には個人やコミュニティの経験や様式が反映される

書籍『わかる 日本語教師のための応用 認知言語学 』凡人社 荒川洋平・森山 新 著
p110 太字 引用者

プロトタイプ: あるカテゴリーにおける最も典型的な事例のこと
プロトタイプ カテゴリー: プロトタイプを中心とし 周辺的な成員を副次的なものとして位置づけて構造化したカテゴリーのこと 上下の階層では プロトタイプは基本レベルカテゴリーに属する成員が選択される

書籍『わかる 日本語教師のための応用 認知言語学 』凡人社 荒川洋平・森山 新 著p111 
太字 引用者

レイコフ「理想化された認知モデル」(ICM:Idealized Cognitive Models)
理想化認知モデル(ICM)は、認知モデルまたはメンタル・スペースとも呼ばれ、認知言語学の概念で、個人が世界を理解するために使用する、構造化されているが柔軟な知識を指します。認知言語学は、私たちの言語理解は、私たちの経験と、私たちの精神的プロセスの根底にある概念構造によって形成されると仮定しています。ICMは本質的に、あるカテゴリーの典型的な、あるいは「理想的な」例であると私たちが考えるものを具現化した心的表現で、これらのモデルは「理想化」されたものですが、その理由は、多くの場合、特定の一例ではなく、カテゴリーのメンバーの抽象化された複合体を表しているからです。(ChatGpt-4)

理解に必要な理論についての前提知識をふまえた上で
Kramshの理論に入ります。

Kramは上記のICMを用いて、学習者と学習言語との関わり方
特に、学習者によって目標言語に対する「好き嫌いの感情」の異なりが生じることについて以下のように述べています。

要するに、理想化された認知モデル理論(ICM)は、私たちが自分の言語の中で生きているメタファーが、私たちの身体にとって異質な言語の生成を
どのように妨げたり、逆に促進したりするかを説明することができる。

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)pp93. 太字引用者による

ワトソンは、「アメリカ人」であることの意味について理想化された認知モデルを保ちながら、フランス語を話すことをどのように和解させることができるのだろうか?私たちの身体は、古いものの身体化された記憶を保持しながら、どのようにして新しい音に順応するのだろうか?言い換えれば、自分の母国語の記憶と価値を体が保持したまま、どうやって外国語を話すようになるのだろうか?このジレンマから抜け出す方法は、認知言語学において、フォコニエとターナーが提唱する概念的または比喩的なブレンドという概念によって理論化されてきた

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)pp94. 太字引用者による

7.ブレンデッド・スペース理論


ブレンデッド・スペース理論(Blended Space Theory)は、しばしば概念的ブレンディング理論(Conceptual Blending Theory)の文脈で言及されるが、ジル・フォコニエ(Gilles Fauconnier)とマーク・ターナー(Mark Turner)によって開発された。これは言語学習そのものに関する理論ではなく、人がどのように考え、意味を創造するかについての理論である。
この理論では、私たちの心には、異なる認知空間(構造化された経験や知識の集合)を組み合わせて、"ブレンド空間 "と呼ばれる新しい意味や精神空間を作り出す能力があると仮定している。
(ChatGpt-4)

そして、このブレンド空間において学習者はそれぞれの学びを通じて
独自に目標言語の世界の現実を創造し、意味付けていくことを
以下のように述べています。

ブレンドの中には、入力空間から直接コピーされたものではない、創発的な構造が生じる。たとえば、道徳と政治、進化と革命の関係といった新たな構図的関係が、ブレンドによってもたらされるかもしれない。18世紀のドイツ啓蒙主義や1776年のアメリカ独立宣言など、元の空間には明示的になかった要素によって完成されるかもしれない。また、フォコニエとターナーが言うように、ドイツ語と英語を学ぶ日本人のサード・プレイス、ヨーロッパとアメリカの民主主義、コスモポリタニズム、グローバリゼーションの概念の間の現在の緊張、資本主義的民主主義における自由と責任との不穏な融合など、その側面のいずれか一方を精緻化するように「ブレンドする」こともできる。構成、完成、推敲は、ブレンドにおける創発的な構造につながり、その結果、外国語学習者が言語を通して表現される外国の現実を理解しようとする「統合ネットワーク」とブレンド空間を形成する

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)pp99

8. SLA研究における象徴活動


ここまで用いてきた理論と彼女の分析の軌跡を示したのち、
Kramshはこうした視点での語学学習の解釈の重要性を以下のように
示しています。

彼らのブレンドの多くは、過去や現在の人生の出来事に基づいた特異なものであるが、彼らの言語学習経験の意味を理解しようとするSLA研究者にとっては、注目に値するものである。

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)pp99

なぜなら、SLA研究ではこのようなアプローチを通じての
語学学習者の内面を描き出した研究は、これまでにはなかったとして
「情緒や感情、アイデンティティを言語学習者の象徴形式の経験と明確に結びつける」試みの意義を再度、強調しています。

例えば、心理学的・神経生物学的な枠組み(Schumann 1997)や、語彙的・認知的なアプローチ(Pavlenko 2005)、フェミニスト的な視点(Norton 2000)によるバイリンガルにおけるアイデンティティの発達など、SLAにおける情緒的な要因を探求してきたが、情緒や感情、アイデンティティを言語学習者の象徴形式の経験と明確に結びつけることはしてこなかった
象徴[1]のレベルにとどまることで、学習者が従事し、多言語主体として彼らを構成する象徴[2]の活動を十分に測定してこなかったのである(「はじめに」参照)。

『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)pp101

※言語使用が象徴的であるのは、
(象徴1)[1]言語使用が、慣習的で客観的な現実を表す象徴形式を通して、私たちの存在を媒介するからであり、
(象徴2)[2]象徴形式が知覚、感情、態度、価値といった主観的な現実を構築するからである。

Multilingual Subject (by C. Kramsh), P26-27

Kramshの試みに対する批判に対しては次のように
論駁しています。

読者のなかには、私のデータ解釈に異論を唱える人もいるだろう(Block's (2007: Chapter 5) misgivingsを参照)。彼らは比喩的な文体に、過熱した想像力や文学的感性の産物以外の何ものでもないと見るだろう。
しかし、言語学習者の証言が思い起こさせるように、感情を喚起し、話し手と聞き手の双方に主観的な効果をもたらす力は、言われた内容からというよりも、言われた形式から来るのである。実際、行動する力は、私たちが考えている以上に多くの場合、言葉から、つまり、話したり書いたり、聞いたり覚えたり、オウム返ししたり、再話したりする象徴的な形式から生まれる(注11)
それは文学的な文章に限ったことではない。日常的な話し手や書き手にとって、とりわけ複数の言語で話したり書いたりする人にとって、日常的な言語実践はさまざまな種類の象徴的活動で満たされている。

Multilingual Subject (by C. Kramsh), P102

ESL学習環境における移民のアイデンティティ研究で著名なBonny Norton
の分析については、Kramshの分析では以下のように見ることができます。

注11)
たとえば、ノートンのよく知られたカナダへの女性移民の研究に登場する情報提供者たちは、日記を書くことで象徴的な自己を形成し、それが家主に立ち向かい、労働条件を改善する力を与えたと主張することができる。たとえば、「あきらめてはいけないとわかっていた」と書いているマルティナは、母親としてのアイデンティティを利用することで、家主に立ち向かう心理的な勇気を奮い起こしたわけではない。そうではなく、彼女は新しく覚えた英語の慣用句である「あきらめるな」を、そのキャッチーなリズムと魅惑的なイントネーションで内面化し、日記に書くことで自分のものとし、それによって、大家との口論を自分の願望に合うように解釈して語ることのできる象徴的な自己を、文章として構築したのである

Multilingual Subject (by C. Kramsh), P102

たしかに、Kramshが先に述べていたように「言葉が思考を作る」と考えるなら、その言葉によって形成された思考が自己をかたちづくっていき、行動へと結びつきます。

言語学習者を見る際に、言語をどのように捉え、
その言語が学習者にどのように関わり、学習者の変容、行動を
引き起こすかというKramshの論考がようやくここまで調べながら
読んでみてなんとか理解することができるようになりました。

記号論、認知言語学の知識のなかった私には
なかなかハードルの高い論考ですが、亀の歩みでも
取り組んでみるしかないですね。
って、まだ第1章で、こんなにクタクタになるとは、
この先どうなることやら。