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「はじめて」の冒険の話 @ベネズエラ

何事にも「はじまり」というものがある。

2012年8月14日。

20歳の誕生日を迎えた2ヶ月9日後に私は「ひとり旅デビュー」を迎えた。

行き先はアメリカ合衆国のシアトル。

いや訂正。

シアトル経由の、ヒューストン。

…経由の、南米ベネズエラ。

(しかも首都から更に国内線を乗り継いだ先にあるシウダード・ボリバルという街)


どうして行くことになったはさておき、少し旅慣れた今だからこそ言えることがある。

狂っているッッッ…!

いや、ほぼ初海外で1人な時点でちょっと頭悪いし場所もね。現地に知人がいるとはいえ行く方もそうだけど行かせてくれる方もなかなかに肝が据わっている。


今でこそハイパーインフレの話題でそこそこベネズエラの情報はネットに上がってるけど、当時は旅行者の情報などほぼなく。(旅行者情報で言ったら今も少ないけども)

記憶に残っている一番衝撃的なニュースは、治安の悪い首都No.10に常にランクインしており、首都カラカスでは何十秒かに1人、人が連れ去られているという話。



…なにはともあれ、行くと決めたからには行くのである。

飛行機はベネズエラに長く住んでいた知人に手配してもらった。頼れるものは頼る。いかんせん始めての海外ひとり旅。この時点では飛行機の取り方なんて代理店に駆け込む以外想像もつかない。

「安いのがいいっていうからトランジット長めだけど頑張って〜」

この言葉の恐ろしさも知らないし、後述するがWi-Fiの概念すらない。

今まで誰にもこの旅の全容を話す機会がなかったけど、7年経った今、私は改めて愛する会社を辞めてまでもあの時の「はじめてのこと、未知の世界の面白さ」を求めて旅に出ようとしている。

長くなりますがどうか最期までお付き合い下さい。

↓ 20歳のわたし。クソ生意気そう。@空港


第1章 まずESTAの概念がない

出張や旅行などで海外に足を運ぶ機会がある人にはおなじみ…

私たちが海外に行く時、まず必要なものがある。パスポートだ。

日本という国は、世界の中でも非常に信頼に厚く、この「日本が発行しているパスポート(身分証明書)」を持っていれば、「VISA(入国を許可する証書)」をわざわざ各国の公的機関に出向いて取得しなくとも約190カ国(※2019年7月現在)に出入りができてしまうのである。なんという魔法。

で、アメリカもね。VISAの取得は免除されているんだけど、VISAとは別に「ESTA」という、いうたらVISA申請みたいな手続きをやらなきゃあかんかったのですよ…。なんという伏兵。そういえばやっとけよって誰かに言われた気もする。この申請、ネットでできるんだけど当時はようやくスマホ持ち出して1年くらいとかそんなんよ。いやそれが関係してるかと言われると困っちゃうんだけどさ。

簡潔に言います。

空港でギリギリ取れました。


あ〜〜〜〜〜〜〜よかった〜〜〜〜〜〜〜

ユナイテッド航空のお姉さんには「賭けですね〜」言われてたからね。こわ。

はい次いくよ。


第2章 税関の概念もない


もうね、やめておけと。

今すぐ帰って、家で漫画読んで日暮れとけと。思うんだけども今ならさ。

出展)https://www.jal.co.jp/tabi/info/ed/ame/us.html

飛行機降りるときにこんなん配られますでしょ?

もうね何が何だかサッパリですよ。でね、地球の歩き方にこんなん載ってたかもしれないと思うじゃないですか。地球の歩き方(ベネズエラ版)、なんと預入荷物のキャリーケースの中にしまってるんだよね。お前…。

結論:隣に座っていたおじさまに丁寧に教えていただきました。

おじさんね、6歳の子供がいて、いつ海外旅行に連れて行くか迷ってるんだって。今連れってても覚えててくれないんじゃないかなって。

私の初海外旅行は6歳の時に行ったオーストラリアだったんだけど、幼少期の一番の思い出として残っているからそのことをお伝えしましたよ。あの後娘さんとどこかへ出かけたのでしょうか。


第3章 Wi-Fiの概念がほとんどない

さあついたぞシアトル。トランジットは確か4時間。

空港到着と同時にスマホが謎の電波をキャッチ。英語で出てくる案内。

FREE… Wi-Fi…?

多分ね、スタバとかで繋いだことはあったんだよね。でも、日本以外でもあんなお手軽にWi-Fi繋げられるみたいなことは知らなくてさ。AGREEしまくっている間にいつの間にかネットが普通に使えるようになって感動したのを覚えてるなぁ。

あとね、電源タップがなかなか見つからなくてそこら辺にいる人のマネして自販機の裏に隠れてる電源口から電気を拝借して充電したのを覚えているよ。多分良い子は真似しちゃいけないと思う。

インターナショナルエレクトリックシーフだぜ…とか意味わからんことをTwitterかなんかに呟いた記憶。まっ黒歴史。

無事にインターネットの力を駆使してトランジットを終え、ヒューストン行きの飛行機へ。ちなみにこの後ベネズエラの国内線で「Wi-Fi」が言葉として通じなくていろいろ詰みます。

飛行機。今度は隣の席が可愛い小さい女の子で、夜景を見て「pretty〜💓」と言っていたのをきっかけに、prettyには「きゃわいぃ〜」だけでなく「きれい」という意味があることを知った。1度も使ったことないけど。

ちなみに約3週間のベネズエラ滞在の中でどうしても調べ物をしないと死ぬのではという場面がありWi-Fi繋がずデータローミングしてしまいます。

繋げた瞬間に「おま、まじ、分かってんのか?やべー金額請求するかもしれんけどいいな?」みたいな案内が速攻キャリアから来て純粋だった私は震えました。幸いにもちょっといつもより高いなくらいで済みました。あーよかった。

今はどの国でもだいたいWi-Fiいろんな場所でひろえるからほんと便利よねぇ…SIMカードとかもねぇ。その分失われたものもあるのかもしれないけど、選べない自由よりも選べる自由の方がきっといいよね。いい時代になりました。


第4章 トランジット11時間は長い


ヒューストンにつき、空港内を電車で移動することにかなり戸惑うものの(30分以上どうしようかうろうろしてた)次の便まで11時間あることで何をするにも余裕。だったのは最初の2時間まで。というのも、21時を過ぎたあたりからどんどん空港内の店が閉まって行く。電気も消えて行く。人気がなくなっていく。津波のように不安が押し寄せてくる。

今思えば、乗り換え先の場所まですでに移動してきてしまっていたからだったのかも。きっと中心部は夜遅くまでお店開いてたんだろうな。こちらは目的地まで歩みを進めることに夢中なのでその余裕はなかった。リンゴかじって歩いているいかにもアメリカーンな女の人に憧れて自分もバナナを買ってみるも移動疲れもあってその様子はただの霊長目ヒト科ゴリラ属。ウホ。

時を持て余し過ぎた結果:ほとんど人のいない空港でがっつり6時間ほど寝た。

なんならゴミ箱見つかんなくてバナナの皮とともに寝てた。

なにも盗られず生きててヨカッタネほんとに。



第5章 誰もかれもが疑わしいベネズエラ


空港で寝たくせに飛行機でも爆睡。どこでも寝られる。そしてつきましたよついに。ベネズエラ…!

当時ベネズエラに住んでいた知人から、「空港で世話してくれる案内人頼んであるから見つけてね!」と言われていた私。てっきり名前の書かれたプレートを持っている人間がいるのかと思っていたけどどうやら誰もWELCOMEしてくれていない。

というか緊張感からかほとんどのことを覚えていない。空港職員に話しかけて、国内線乗り場まで連れて行ってもらい、(この瞬間はこの人こそが案内人かと思っていた)アデューされた瞬間の絶望といったら。

幸いにも次の予定便まで6時間ある…。時刻は朝の6時。余裕だぜ…。と荷物を握りしめ、2WEEKS分入る大きなトランクですらも持ってかれないように横にして股に挟み座り込みとりあえず地球の歩き方を出そうとしたところで、笑顔で近づいてくる男性が。


「HEY!パスポートをよこせ!」

※実際はスペイン語だったと思うので何言ってるか分かんなかったけどパスポートを要求されたことは分かった


あ〜〜〜〜〜おわった〜〜〜〜〜〜

これあれだ、あ〜〜〜なんか騙されるやつだ〜〜〜〜〜〜〜


もうね、人前で地球の歩き方なんて出しちゃったもんだから。

こんなん治安悪い言われてる国の空港ど真ん中で開いてるやつは脳内ハッピーお花畑野郎ですからね。カモもいいところ。カモがネギと濃厚な出汁と清涼な土地で育ったそば粉で作られた麺を背負ってやってきたようなも(以下略)

この瞬間ばかりは地球の歩き方を親の仇とばかりに憎みました。

今の所なんの役にも立たないじゃぁないか。(八つ当たり)


ただ、一瞬頭によぎったのが(もしやこのお方こそが案内人なのでは…?)という考え。

「どぅーゆーのうみー!?てるみーぷりーずまいねーむ!!!」※数回繰り返す。多分通じてない。

直訳すると

「私を知っているのか!?どうか私の名を教えてくれ!!!」

決死の形相で繰り返す。相手ハテナ。なんだこの状況は。拙い語彙力のせいで記憶喪失の人が異国に紛れ込んでいるみたいになってる。


結論として:多分知人が手配してくれた案内人だった。それかただのクソ親切なお兄さん。

パスポートに続いて荷物も全部持ってかれた時は本当に生きた心地がしなかったけど、搭乗のチケットと荷物の預け入れを証明する紙っぽいものを持って帰ってきてくれた時は本当に涙が出るかと思った。あと心から疑ってごめんって思った。ありがとう…ありがとう…!

最後チップを渡そうと(生意気にも)思ったんだけど断られて、代わりに大量に持ってきた日本の扇子をあげたらむちゃ喜んでくれました。


ふう、まだまだエピソードはあるんだぜ。

(そしてなんと当時買い込んだ扇子もまだある。)


第6章 ドルは万能じゃない


無事に国内線空港内でチケット手配まで終えた私。(何もしてない)

さあ朝ごはんをいただこうじゃないかといったところで問題発生…

いったいえりなりの身に何が!?

1) 店員さんに英語(戦闘力5)が通じない
2)クレジットカードが使えない
3)最後の望みとして出したドル札すらも使えない
4)なんならWi-Fiも繋ぐことができない。誰もpassword教えてくれない。

ええ ええ 、もちろん全部です。


現地通貨は「ベネズエラ・ボリバル・ドル」。※2012年当時

いまハイパーインフレしててやばい。通貨単位も0を5個消して10万分の1に切り下げた新通貨とかになったりしてる。


でね、本当に困っているときに人はね、たくさん助けてくれるんだよ…

なんかミートパイみたいの買おうとしてたんだけどさ、後ろの方に並んでた若いカップルの男女がどうやら英語を話せるらしく、状況を説明したら奢ってくれてん、、、、、、

人生であれ以上に美味しいと感じたミートパイはないね。


「だからえりなりおばあちゃんはミートパイが好きなんだね!」
「そうじゃね…、思い出すんだ、あの特別な冒険を。温かさを。」
そう言って祖母はいつもキッチンの奥で微笑んでいました。
お腹が空くといつも作ってくれた思い出のミートパイ。
そんな思い出を分けてもらえる私も、きっと特別な存在なのだと感じました。
今では私がおばあさん。
孫にあげるのはもちろんえりなりばあちゃんオリジナルのミートパイ。
なぜなら彼らもまた、特別な存在だからです。

突然のヴェルター●オリジナルネタに世代間ギャップを抱え冷え込んでしまっているあなた、安心してください。2度とやりません。

けど冗談抜きで私はこれからもミートパイを口にするたびに、彼らのやさしさを思い出すのでしょう。そして、同じように困っている人が居たら今度は私が助けるんだ。

こうやって世界にやさしさの輪が広がっていくんだ・・・・・・


ということで、少なくともあと5時間ほど何も買えない飲めないが決定した瞬間でもありました。

背水の陣…どうなる!?


第7章 人はひとりでは生きていけない


はい。そうです。情けないことにまた奢られます。


なんなら、もっといろいろあった。

1)残り5時間だったはずのトランジット時間がなんやかんやで+6時間した(遅延)
2)搭乗ゲートが合計4回ほど変わった。アナウンスは全てスペイン語なので何言ってるか本当に何もかもが分からないしいちいち電子掲示板とかに案内ないから聞き逃したら全て終わる仕組み。
3)到着先でも荷物が遅れてさらに2時間 、荷物を待つだけの時間があった。


けどね、すごいんすよ。

みんなね、遅延のアナウンスがある度に、そして搭乗ゲートが変わる度に、笑いながら口笛を吹いたり踊ったりするの。

誰も、怒ってクレームしに行ったり、イライラ不満をぶつけたりしない。

またかよー!しょうがねぇなぁ!HAHAHA!って。

本来であれば荷物が運ばれてくるはずのベルトコンベアの上で歌い踊るその姿、さながらクラブのよう。パリピ民族。

あの瞬間、南米が、ベネズエラがなんだなとても素敵な場所に思えてちょっと好きになった。



そして何故こんな状況に適応できているかというと、


もうね、言葉が通じない・ネットが通じないという環境下に置かれると人はスーパーコミュ力を発揮するもんなんです。

いや知らんけど、当時の私はそうだった。

とにかく若い人たちに片っ端から話しかけて、

英語は話せるのか?(自分はろくに話せないくせに)行き先は一緒か?お金ないけど一緒に居てくれるか?聞きまくったよ。

そしたらね、、、当時26歳のフランジェリカさんという方が「簡単な英語しか話せないけど、私でよかったらいいよ」って…!!!!!!!

もうね、

女神降臨と思いました。

あぁフランジェリカ…

本当に心細かったんだ。本当に…。

けどJAPANのことスペイン語で「ハポン」って発音すること、当時のわたしは知らなかったからさ、何度もこんなやり取りをしてしまったよね。

「From ジャパンだよ」
「ハポン?」
「ううん、ジャパンだよ。」
「あ、じゃぁコリア?」
「ジャパ…   うん…。」


でねでね、一番感動したのがこれですよ。

おしゅし!!!!!!!!!!


まさかベネズエラの空港(しかも国内線)で食べられるとは。

おてもと書いてあるし。


ここで察しの良い方は気づかれましたでしょう。

海外旅行をする際は、現地の環境・細菌に慣れるまでなるべく水を含めナマモノは控えた方がよいということ…

しかも長時間のフライトで体は疲れ切っているということ…


つまりこの時点で全ての要素は揃っていたんだ。

ドラ乗りまくりの役満だったんだ。



そう、わたくし

2日後から1週間ほど、40度近い熱を出し続けます。

死んじゃうかとおもった、、、


それはさておき、

寿司ね!!!!!!!!!!

すごく美味しかったよ。

現地の人に後から聞いたら「あれ多分川魚使ってるから外国人は絶対食べない方がいいよ!HAHAHA〜!」だったけど。けどね、やっぱりね、もしもね、私が事前にそういった情報を知っていたとしてだよ。

彼女の好意を踏みにじれるのか?

そしてベネズエラで寿司を食べるという経験を無視するのか?

否!

結局食べて未知のバクテリア(現地のお医者さん談)にやられてたと思うわ。


今はどうか知らないけど、フランジェリカさんのお話によると「ワカメ(※)がめっちゃベネズエラで流行ってる」らしい。

※写真右奥の明らかに私の知っているワカメではないプラスチックで作りましたみたいな色してる緑のプリプリしたもの


なんかこれは本当に何の味もしないし得体が知れなさすぎてフランジェリカさんにほぼ食べてもらいました。(おい)



という様々なアレコレがあって、

ベネズエラでの楽しく、面白く、新鮮で、そして今まで経験してきた中で一番死に近い3週間の冒険が幕を開けたわけです。

ちなみに日本から飛び立って、目的地に着くまでになんと41時間かかりました。

途中の空港でシャワー浴びるとかいう知恵も度胸もなかったから目的地についたときにはもうドロドロだったよね。


これが私の、忘れられない「はじめてのひとり旅」であり、

その後もいろんな国に行ってみる大きな原体験、原動力となったように思います。

だから、2019年8月31日から約1年、長ければ1年半かけて世界中のいろんなところをぐるりと見て回ってくるつもりなんだけど、

この話を書いておかないと他のどんなエピソードも残せないなと思ってnoteに記しました。



最終章 「旅の目的は?」


よく聞かれるのでよく考えるのだけど、すごく難しい。

お金があって(どうにかつくった)、

時間があって(むりくりつくった)、

健康で(これは両親に感謝)、

自分の庇護下にあるようなものがなく、守るべきものが限りなく少なく自由に動ける国籍と思想と環境があって、

そんな前提条件の元、

「エステに行って綺麗になりたい」とか、「流行りの洋服を買いたい」とか、そういうことよりもやりたいこと、

優先順位の上の方〜に、

「もっと面白い国に行ってみたい、面白い出会いをしてみたい」が来てしまっただけな気がしています。

良くも悪くも、どんなことに対しても決断のハードルが低くなっている(踏み切れる)のはきっと小さい頃からいろんなことを経験させてもらっていたおかげなのかな。

両親にビッグリスペクト、そして感謝です。


あとはね、絵を描くのもすきだから絵も描くんだ。

めちゃくちゃ長くなってしまった…。すごい時間かかった…(笑)

文才ないなぁ〜!

これからいろんな国をまわる間、移動時間もたくさんあるだろうから、飽きるまで更新しようと思っています。

もちろん、もうさすがにいい大人なので安全には十分な配慮をして。

精進します。



ではまた、地球のどこかで。


そしてさんざんコケにしてしまったけど地球の歩き方は偉大です。

めっちゃ持ってる。

あとwebサイトの方の、自分の旅程公開したり他人の旅程検索したりできるところがすごく便利。

それでご飯一緒に食べる人みつけたりできたし。

これからもよろしくお願いします。

サポートしていただいた内容は次のチャレンジに繋げます。