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生贄探し 暴走する脳
いわゆる結論は無かったけど、面白かった。
「正義」というものには、用心しないといけない。
自分が正しいと思うと、人は残酷になれるから。
そして、脳は誰かと比べないと幸せを感じられない、と書いていたけども、果たしてそうだろうか。
むしろ、人と比較すると、大体、嫌な気分になるし、私が幸せな気分になるのは、それこそ、金木犀の香りで季節の変わり目を知ったりすることだったりするが。
とは言え、そうか、例えば、たまに国産の1枚1枚折りたたまれてるような良い牛肉を買ってきてすき焼きをする、とか、娘のスポーツで一緒に試合をして自分や娘が点を決めたり、とか、そういうことは、比較で感じる幸せなんだろうか。
そして、他人の不幸は蜜の味か。
一概に言えないと思うけどなぁ。
そう、この本、二人の対談で面白いところはたくさんあるんだけど、筋だってないし、気になるところが、フワフワっと流されるから、ん?と思うことが多く。
あとは、日本人は突出して意地悪な人が多い、という話。
そこから、同調圧力の話にもなっていくのだけど。
「自分たちは苦労してきたのだから、お前も同様に苦労するべきだ」
みたいな話から思い出したのは、父親のことで。
父の悪口も、もうあまり書きたくはないのだけど、、小さい頃、まー、機嫌の悪い時は、箸の握り方が悪い、ぐらいのことでゲンコツで頭を殴られた。
たんこぶができるほど。
で、父親が繰り返し言っていたのは「俺が子どもの時は、こんなもんじゃなかったぞ、木のコブで殴られてた」と。。
私にとっては、知ったこっちゃないし、それで父親の暴力が正当化されるわけもないし。
・・・まぁ、今よりは、体罰に寛容な社会だったのかもしれないけど、結果、私は自分の子に手を上げないし。
それと話は変わるけど、コスモポリタン的な人っていうので、フェデリーコ2世の話が出てくるんだけど、自分のアイデンティティに帰属場所が無い、ヤマザキマリさんの息子さんの話も出てきて。
すぐに、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を思い出したのだけど、その時は、アイデンティティの所在なさ、みたいなの、無いのかな、って思ったんだけど、逆に、そういう、国籍とかに捉われない方が自由に生きられるのかもしれないな、とも思った。