見出し画像

2022年11月 札幌ひとり旅17 開拓の村 旧青山家漁家住宅

旧青山家漁家住宅
小樽の三大にしん漁の網元、青山家、白鳥家、茨木家の一つ、青山家の住宅

4巻187ページ

これも同じページに書かれてる

6巻201ページの背景になっているところ
そして、この喫煙厳禁は、実際に働いていた使用人たち向けなのか、こうやって展示されてからなのか。
ちなみに、明治30年代に南からだんだん獲れなくなっていったそう

とは言え、この建物が1919年(大正8年)に建て直されたもの(前の母屋は火事で焼失した)らしく、まだ、ニシン漁、続けてたのかな。
となると、いつまでこの建物が使われてたか、気にはなるが。

ニシン漁の中心が後志地方(小樽のあるところ)から、だんだん北に移っていく、なんて書いてあるけど、昭和に入ってからはニシンの漁獲高の約40%がその北部だった、ってことは、その6割のうちのいくらかは小樽の辺りだったんだろか。
なんか、小樽の青山家の歴史をgoogleで調べようとすると、すーぐ、小樽の旧青山別邸がヒットしちゃう。。

杉元たちと辺見が囲んでいた囲炉裏
5巻20ページ

囲炉裏の奥に、いかにも番頭さんが座りそうな場所が笑

そして、神棚があると、わー神棚だー!って写真撮っちゃう不届きものなんですが

これ、きちんと読める人がいたら教えてほしいのだけど、私が見る限り、
大正十三年度
小樽市龍宮神社
って最後に書いてある。
西暦で言うと1924年

で、ちゃんと、龍宮神社、あった!
となると、こういう神社へのお参り、ニシン漁をやってたら毎年すると思うんだよなぁ。
どうだろう。

そして、開拓の村、丁寧に書いていらっしゃるブログが!
そこに
収集年 1980年(昭和55年)
復元年 1983・1984年(昭和58・59年)
と。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2012s/0/2012s_100058/_pdf

それと、青山家の漁夫雇い入れの研究(?)をしていらっしゃる方の資料によると、青山家は
・ニシン漁業以外にも土地貸しを行う
・1913年からは上川郡比布村で農場経営
・1934年に浦河町でイワシの加工場を開く
と、多角経営されてる。
いやー、今、この青山家はどこで何してるんだろか、と思って小樽と青山家っていうキーワードで探してたんだけど、今、小樽にいない可能性あるな。。

で、襖には漢詩かな?を書いちゃう。

吾斎之中不尚虚礼
ここではまぁ、身分の上下の分け隔てなくみんなくつろいでいってね、ぐらいの意味っぽい。

11巻54ページ、尾形がお父さんを殺したところ

熊の毛皮2匹ガバー
マンガのアングルで写真撮れないけど、、左上の仏壇と写真が写ってる11巻56ページ
日泥家周りの写真は全然撮れてない、、
そして、板倉に移動

こまざらいだー!

その青山家が雇ってたヤン衆がしょってたモッコ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?