世代を超えて伝承していくことの難しさ。歴史は繰り返してしまうのか。
「また、争いや、自然の猛威が、安らげる場所を奪って・・・」
全国各地で頻発する災害。
多くの命が失われていった戦争。
その当事者にとっては、深い悲しみや苦しみを負った自分自身のことなのですが、
次の世代へ語り継ぎ、伝承していくということは、とても難しいことです。
このことについて考えていきたいと思います。
冒頭の写真は、今年の8月に初めて行われた、関門海峡に向かっての『戦没者と被災者への慰霊祭』の場面です。
大学生による司会進行や、子ども達からも献花をいただきました。
皆さんの感覚はどうでしょう?
これをご覧の皆さんは、おそらく多世代にわたっていると思います。
これをご覧の方で、戦争を体験して、当時を鮮明に覚えている方はいらっしゃいますでしょうか。(もし、いらっしゃったらぜひコメントください)
僕の祖母や祖父は戦禍を生き抜いてきたそうです。
よく戦争の話を教えてくれました。
僕の想像の及ぶ範囲で当時のことをイメージしていました。
小学校でも、夏休みに、広島への原爆投下の日は登校日で、戦争のことを考える・学ぶ機会がありました。
『戦後』という感覚は、僕には少しだけありました。
皆さんは、それぞれの世代で違うと思いますが、いかがでしょうか?
では、僕の子ども達のことを考えます。
当時のことを覚えている『生きた証言』を聞く機会は、ほぼありません。
僕なんかからの『また聞き』ですよね。
戦争は教科書の中での話であり、昔の話。
リアルなこの世界での話に聞こえてこないのが現実だと思います。
これは想像に及ばない子ども達が悪いのではないのです。
そういうものなのです。
僕自身もそうでした。
祖父や祖母が伝えたかった戦争への想いを、完全に受け止めきれているわけではありませんでした。
どこかリアルに欠けるような感じがしました。
もう10年が経ちました、『東日本大震災』
これをご覧の皆さんは、我が事として、記憶されていると思いますが、
今の小学生に東日本大震災の話をしても、『?』となります。
知らないんです。
東日本の皆さんは、少し違うかもしれませんが、申し訳ないです。
九州では、当時生まれもしていなかった子ども達へ語り継いでいくことはできていません。
では、26年前、『阪神大震災』はどうでしょう?
僕は、当時小学生でした。ニュースの映像に釘付けになりました。
鮮明に覚えています。
しかしながら、今の大学生や、年齢によっては子育て世代のパパママでも、阪神大震災を知りません。
これも関西の方々には申し訳ないのですが、
世代によっては、教科書の中の、昔話となってしまっています。
この内容で、心を痛め、大変失礼があったのかもしれませんが、
これが現実です。
苦しみ・悲しみの記憶が繰り返さぬよう、
僕たちには何ができるのでしょうか。
僕の学んできたこと、実践してきていること、感じていること、
続けて書いていきたいと思います。
①東日本大震災『釜石の奇跡』の前に
東日本大震災で、津波が沿岸地域を襲い、多くの人がのみこまれ、命を失いました。
そんな中、子ども達が、自分の命に対して『主体的』にかつ、『率先して』避難行動をとったことにより、そのまちの子ども達だけでなく、多くの住民が命を守ったという『釜石の奇跡』がありました。
これを何年もかけてご指導されてきたのが、現東京大学の片田教授です。
(テレビでもよくお見かけします)
(北九州市での防災まちづくりにおいても、多くのアドバイスをいただいています)
片田先生に『釜石の奇跡』までの道のりを教えていただきました。
まず、子ども達は、自分のまちの自然と向き合う事。
これは、知識として海の恐ろしさを教えるのではなく、
日頃からの海の恩恵を受けて、このまちがある。
しかし、時には、荒ぶり、命に関わることがある
そんなときには、自分が命を守る行動をとれる。
これが海で暮らし育っていく者の、このまちでの『お作法』だと子ども達に伝えたそうです。
その後、このまちには、何十年かごとに襲ってくる津波被害の悔しさをこめた、
先祖たちが作った『石碑』がいくつもあることに気付いたのです。
子ども達は率先して、石碑のまわりを整備したそうです。
このまちの歴史。
何世代も前の先人たちが、その地で感じた苦しみや悲しみを、石碑を通じて感じたのだろうと思います。
そうした想いが、あの日の行動に繋がったのかもしれませんね。
②聞き書きで繋ぐ『未来への伝言』
戦争のことや、昭和28年大水害の記憶について、
当時を知る人からの証言を、『聴きだし』、『書き出す』取り組みである
『聞き書き』によって、文集を作られている活動が、北九州市門司区の西門司校区で実施されました。
この活動が、冒頭の写真の慰霊祭や、子ども達の「たんけんたい」にもつながっていくこととなりました。
戦時中のことを知る、おじいちゃん、おばあちゃんから、お話を聞いて、イメージして、文章におこしていきます。
当時の体験者は、自分の記憶を語ります。
何も文集を発行するなんて大それたことを思わずに、ただただ当時のことを語っていただきます。
しかしながら、現在の僕たちからすると、とても貴重なお話なのです。
当時のことをリアルに聞くことができるのは、あと何年間チャンスがあるでしょう。
この文集は、『昔話』でも、『記憶録』でもありません。
『未来への伝言』なのです。
そう、過去の話ではありますが、これから僕たちや、僕たちの次の世代へと少しでもリアルに語り継いでいくための手段です。
お求めの方は西門司市民センターにお問い合わせください。
(TEL:093-381-4927)
③100歳のおじいちゃんが語る!戦争の記憶
これは、『戦後生まれのあなたへ』という企画で、
100歳の杉本さんというおじいちゃんが、当時のことを、特に、戦前、戦中、戦後の世の中の雰囲気について語っていただく企画です。
コロナ禍でも、より多くの方に聞いてほしいと、動画の限定公開にて配信を予定しています。
この記事をご覧の皆さんも是非、お願いします。
場所や時間を越えて、ぜひ、多くの方に見ていただきたいと思います。
到津市民センターにメールしてください。
it-sf@ktqc03.net
必要事項は、氏名、性別、年齢、住所、電話番号です。
「入門から聞いた」とお伝えください!
2年前の講座の様子を添付しておきます。
町内会長などを務められてきた杉本さんのお話は、とても聡明で僕の胸に刺さりました。
④僕は『当事者』なんだ
僕の祖父母は戦争を体験してきました。
その祖父母からリアルに言葉を聞いてきました。
2世代違いますが、僕は、直接、話を聞いてきました。
これからの世代はそれができません。
であるならば、僕は『当事者』だと思っています。
いや、そう思いたいと思っています。
『歴史は繰り返す』という言葉があります。
歴史の教科書を開いても、何度となく戦火が広がり、その教科書に書ききれていない悲しみや苦しみが幾度となくあったことでしょう。
人は忘れていく生き物だといわれていますが、
世代をまたぐことにより、伝承できなくなっていくことも事実です。
繰り返される戦いや、災害に対して、
次の世代へと、意識を高くもって伝承していくことが、
僕たち『当事者』としての務めなのではないかと思っています。
これからも、こうした活動を続けていきたいと思っています。