危機・災害は、潜んでいた社会課題を表面化する
今年一年を振り返ってみても、やはりコロナ一色であったと思います。
毎年、どこかしらで発生する豪雨災害。
いつ起こるか分からない地震も心配です。
この度、コロナに見た感染危機で明らかなように、社会を一変させる災害が発生してしまうと、
それまで隠れていた、潜んでいた『社会課題』が一斉に『表面化』してくると言われています。
令和3年最後の投稿です。
今日はこのテーマで、少し大きく、深く考えてみたいと思います。
(約3,800字:長文です、注意(笑))
冒頭の医療従事者の悲痛を表現されている絵は、Aomy.さんの描かれたものを使用させていただいています。ありがとうございます。
①社会課題の表面化
人それぞれ違う課題や悩みがありますよね。
これほど色んなモノに満ち足りた世の中のように思いますが、
様々な社会課題があります。
全員に通じるものというよりは、ごく一部の人にしか見えていない課題というのは沢山あります。
また、普段は特に気にならなくても、とてもとても大切な課題というものも多数あると思っています。
普段から声を上げ、その対策・改善に奔走している方々もおられますが、
それらの社会課題は、『潜んでいる』と表現していることが一番しっくりきます。
災害や危機が発生した際に、
それらの社会課題が表面化し、
ようやく目が向けられていく、という様子をいつも体感します。
②災害で表面化した社会課題
例を挙げるときりがないのですが、各地の災害を見てきて、表面化してきた社会課題を、すぐに思いつく限りでいくつか列挙します。
ぼくの活動ですぐに直結するテーマとしては、
『地域コミュニティ』についてです。
地域コミュニティが希薄化している現代です。
昔の暮らしのように、コミュニティの必然性が薄れているため、当然の流れとも言えるのかもしれません。
しかしながら、ひとたび災害が起きてしまうと、そのローカルなエリアでの人と人とで支え合い、解決・対応していかないといけない外圧がかかります。
隣近所の人達と会話をしたことすらないというような状況では、はじめの一歩され踏み出せない状況です。
地域コミュニティの力は地域によって差があると思いますが、次々と起こる災害各地でいつも表面化する社会課題の代表格かと思います。
『男女の性差』の課題についても注目されました。
これも日常から潜んでいた課題だったに関わらず、災害を起点に表面化し噴出しました。
避難所などでの女性への配慮の不足、不足物品やトイレの問題もありました。
性差別や性的暴行も起こってしまいました。
根っこにあった男尊女卑的な思考や文化が要因にありました。
東日本大震災のような巨大災害になると、
『地域格差』や『電力事情』も注目されました。
福島原発に代表されるように、関東圏の大勢の電力を離れた地域で生産し補っている実情を知りました。
クリーンなエネルギーという謳い文句で、推進されてきた宇宙の力による発電のメカニズムもその危険性が改めて認識されました。発明の原点を生み出したアインシュタインが当時から警鐘を鳴らしていたはずなのに。
生活の必要な要素として、衣食住と小学校の頃に習いましたが、
現在では『情』を加えないといけないそうです。
『情報』ですね。
情報化社会、携帯電話社会、SNS社会において、携帯電話が通じない生活なんて不安で仕方ないのですね。
災害が起こると通じなくなる、目の前のウソの情報に振り回される、心ない投稿に二次被害・三次被害が起きる・・・
防災対策の根幹でありながらも、災害の度に課題視されるのが、
『高齢者・行動弱者』への支援に関することです。
迅速な行動ができない高齢な方、高齢者のおひとり世帯、老老介護の実態、介護や要支援の方々への行動支援、情報が届かない実態、地域コミュニティからの孤立、、、
それぞれの生活において、普段から課題は明確になっているものの、全体の面的に見たときに、地域全体・社会全体の課題としてようやく捉えられていきます。
②新型コロナで表面化した社会課題
これもまた例を挙げればキリがありませんが、いくつか。
まず、『医療体制』に関すること。
こうした感染危機で最も危惧しなければならないのは人命を失わないことかと思いますが、その現場での砦、医療従事者に関して。
新型コロナのパンデミックの流れで、医療従事者の不足やそれらの方々への過度すぎる負担の実態があったかと思います。
看護師さんの離職や、心身ともの負担についても話題になりました。
冒頭の写真のように、医療従事者が文字通り陽の当らない苦しい日々を送っているなかで、次々と身勝手な行動により罹患してしまう人達もいました。
そんな『モラル』の問題も表面化しました。
一方で、全員が警察のように目を光らせるような『監視社会』も表面化しました。一歩はみ出る人が許せない、みんなでたたき上げるような許容力・包容力のない世の中にほとほと疲れた方も多かったのではないでしょうか。
また、自分自身や身近な人を守りたいと思うなかで、罹患した人や感染疑いの人を、差別したりいじめたりする様子も見られました。
悪気はないのでしょうが、自分を守るために、人の気持ちを思いやることができないという心理状態も表面化しました。
人と人とが、会えない、集まれないという、これまで何気なくそこにあったものを絶たれたときに、大切だったということに気付きました。
『リアル』という価値を改めて感じたように思います。
逆に、職場での飲みニュケーションや、各種行事も必要ないよねっていうことも多々あったかと思います。
これも、実は「もういいやん」って少しずつ抱えていたことが、廃止されても何の問題もないっていう感じになったのかもしれませんね。
断捨離の成功事例も多々あったのではないでしょうか。
『IT化の波』においては、コロナ禍において、10年でシフトしていくものが1年で進んだと言われています。
もちろん、技術力、理想を着実に積み上げてこれていたからこそ、一気に舵をきれたものと思います。
これまでも通勤時間ムダよね、家でも仕事できるよねってテレワークの波は来ていましたが、一気に進みました。
特に気になるのは、『子ども達のIT教育』のことですね。
これも随分前から慎重に議論が進んでいたと見ていましたが、一足飛びに学校現場にIT化が進んできています。
絶対正解というのはないのでしょうが、今後の動向、学校教育や子どもの心の成長などの実情を注視する必要があると感じます。
『エッセンシャルワーカー』という言葉も再注目されました。
医療従事者はもちろん、教育や保育、介護の現場の方々を代表する、社会を維持するために必要な仕事・人材のことですね。
先に書いたように医療従事者への感謝や尊敬の念は尽きません。
ぼくの実感としては、このコロナ禍において、学校や学童保育、保育園で子ども達を預かっていただけた皆さんには感謝してもしきれません。
日常の保育や教育をしつつも、これまでになかった感染対策を必死にされている姿に頭の下がる思いです。
北九州市でのワクチン接種は、医療従事者の次に、『民生委員さん』を先に接種を進めていました。
学校や保育園の先生がたも優先接種がありました。
高齢者やおひとり暮らしの生活の安心に繋がる民生委員さん達を優先接種されると聞いたときは、エッセンシャルワーカーの一員だと感じました。
また、株価の上昇の反面、仕事を失ってしまう人達や、『貧富の格差』も表面化していきました。
バイトができず生活が成り立たない学生の問題や、観光業、外食産業への痛手は今でも続いていると思います。
③社会課題の克服へ
偉そうに色々と列挙しましたが、
ぼく自身、自分の心に誓いたいのはこれから書いていく点です。
災害や危機が起きた後に、社会課題が表面化して対策していくのは、もちろん大切ですし、そうして改善してきたことは多数あります。
しかしながら、後から表面化したって「後の祭り」であって、最初から対策しておけよっていう話です。
小さな課題でも、注目し、大切にし、対策を講じていくことが重要だと思っています。
つまり表面化する前に、対策していくことだと思います。
完全に解決できなくっても、ブレーキの構えのようなもので、準備できておくこともできます。助走があった方が遠くまで飛べます。
事前に向き合っておく、準備しておくことも重要だと思います。
「強靭な社会」という言葉も出てきました。
『強くしなやか』という意味ですね。
ガッチリただ固く強くしたものは、一定の力を越えた外力により壊されます。
『しなやかさ』が大切だと言われています。
新型コロナや各地の災害で見てきた、『しなやかさ』もいっぱいありました。
変化していく強さ、順応していく強さ、たくましさがあると思います。
今年一年を振り返って、しなやかに、強くたくましく変わってきたものも多々あると思います。
一方でまだまだくすぶっている、潜んでいる課題もたくさんあるのかもしれません。
未然の検討・見つめることを続けていきたいと思います。
そんな振り返りを自問自答して、新しい年を迎えていきたいと思いました。
偉そうに色々と書いてスイマセンでした。
ぼくには全然力はありませんが、
こんなぼくでも、
課題を見つめること、小さな課題の種に疑問を持ち続けること、声を上げていくこと、変化していく社会の中で、主体的な一員になっていくことはできると思います。
今日もご覧いただきありがとうございました。
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