一緒に活動した子ども達の10年後を調べたら感動した
ぼくたち、NPO法人好きっちゃ北九州は、今年で、設立から15周年を迎えます。
5年ぐらい前のことなんですが、メンバー内で話題になったので、思い出しながら書いてみます。
ぼくたちがNPO法人になったのは、平成29年度ですが、
活動じたいは、平成20年からやっています。
メインの活動である地域愛の育みをテーマとした
『ぼくのまち、わたしのまちを紹介します事業』については、15年前に組み上げた原形のまま、ほとんど変わらずに継続して、今でもすきっちゃのメイン活動です。
ここ数年は、コロナ禍で、そのとおりの活動はできていませんが、そのまちで育っていく子ども達が、自分のまちを好きでいてほしいっていうぼくたちの願いは、いろんな活動に派生しています。
15年前に出会った、2つのまちの子ども達。
それぞれのまちで、自分のまちのことを学び、知り、そして自慢するものです。
2つのまちの交流にあたり、北九州市内をプチ修学旅行。
海を越え、モノレールに乗り、それぞれのまちへ出かけます。
行った先で、そのまちの子ども達から、そのまちの自慢話を紹介してもらいます。
子ども達は、そのまちのことを、他のまちの子たちに伝える代表選手です。
大きな声で、自分のつくった資料を見せながら自慢してくれます。
全部で5回講座。
それぞれのまちの子ども達と地域愛を深めました。
いろんなことを知りながら、
いろんな人たちと関わり合いながら、
自分のまちのことを誇りに思い、愛着をもっていく姿。
そして、
我がまち紹介も、最初は頼りないのですが、練習するうちに、どんどん上手に。本番では、どの子もしっかりと発表してくれます。
そんな活動です。
NPO法人化した後、この頃から10年が経った頃、社会教育研究会の皆さんにご指摘というか、アドバイスをいただきました。
『この頃の子ども達、今、どうしてるんだろ?』
『地域愛を育んだ子ども達が、どう成長しているか知りたい!』
という宿題をいただきました。
10年前の資料を掘り起こしていると、
参加の子どものおばあちゃんが書いてくれたアンケートを発見しました。
律儀にも、裏には、住所・電話番号が書かれていました。
突撃で、無礼を承知でお電話しました。
おばあちゃんが電話に出てくれました。
たった5日間。
様々あるお孫さんの思い出の中で、市民センターの講座に関わっただけです。子ども本人でもないし、覚えてないんじゃないかと危惧しました。
『突然のお電話スイマセン、10年前に、好きっちゃ北九州という活動をさせていただいた入門と申します・・・』
それだけ言っただけなのに、
『あー!!あのときの!好きっちゃの!!!』
というご返答をいただき、10年間が一気にタイムスリップしました。
あのときの子どものおばあちゃんは、よく覚えてらっしゃいました。驚くほどに。
その後、市民センターの講座が楽しみで、色んな講座に通ったそうです。
好きっちゃ事業は特に印象深いと言ってくださいました。
そうした経験が多いですし、このようなおばあちゃんの目線もありますから、地域活動には様々参加してきたそうです。
その後、大きくなり、熊本の大学に進学。
そこで、熊本地震に遭い、大学生活を送りながら、人のためにと、ボランティア活動を頑張っているというお話でした。
ぼくは、その話を聴いて、とても嬉しかったです。
そういう想いをもった子ども達が育ってくれて、自分のまちや、人のことを思いやれる子どもが北九州から育っていっていること。
ほんの少しだけ、ぼくたちが撒いた種は、しっかりと咲いていました。
このおばあちゃんに、他の子のことはご存知ないかとたずね、家がお店をやっている子を教えてくれました。
そのお店にも電話いたしました。
こちらのお宅でも、「好きっちゃの入門と申します・・・」と告げると、即答で思い出していただきました。
この子は、ぼくたちの長い活動の中でも、とても印象的な子でした。
小学1年生か2年生だったと思います。
聴覚に障害があり、ほとんど聞こえていない子でした。
それでも、唇の動きを見て、理解ができたり、一緒に参加していた幼馴染の子とオリジナルの手話で会話していました。
一緒に歩いて回ったりはとても人懐っこい子で溶け込んで活動していましたが、『発表』は難しかったです。
健常者のように上手く喋れないのです。
それでも、ぼくたちは、上手だよって褒めて、もっと頑張ろうって励ましながら、進めました。
最初は全く喋れなかったこの子は、最後は大きな声で自分のまちの魅力を自慢してくれました。
ぼくたちはとても嬉しくって、嬉しくって。
10年越しに、この子のお母さんと話しました。
電話の向こうで泣いてらっしゃいました。
この好きっちゃの活動を経て、少し、社会に出ていく勇気が湧いたんだろうと。
何事にも健常者にも負けずにトライしていこうという姿勢になったそうです。
その後の教育課程も全て健常者と同じように過ごし、高校にも進学し、普通に授業を受けているとのことでした。
大学か専門学校を目指し、勉強しているとのことでした。
この子の人生のほんの少しのことだったかもしれませんが、ぼくたちが活動にご一緒できたことは幸せでした。
電話ごしに、ぼくも、お母さんも10年前の足跡をたどり、涙しました。
活動に携わる子の全てがこのようにいくわけではないでしょうが、草の根的な活動でも、それぞれの子ども達に何かしらを届けていくことができているのではないだろうかと思っています。
朝から涙が止まりません。
今日は目が腫れていると思いますので、リアル繋がりの方は、ご容赦ください(笑)
今日もご覧いただきありがとうございます。
<1年前の”今日”の記事★>
オンラインは急加速しましたよね~。