『長寿社会』での高齢者の生きがい、学び、実践・・・【地域の人材創出検討事業座談会】
昨夜、北九州市小倉北区にある北九州市役所本庁舎にて、
『地域の人材創出検討事業座談会』の第1回目会議が開催されました。
これは、
北九州市役所の保健福祉局の長寿社会対策課が主催するもので、いわゆる『有識者会議』にお声かけいただき、参加させていただきました。
最近では、夜の講座や活動は、お断りをさせていただいているのですが、事前にお話をいただきまして、委員の候補者のお名前を聞いて、トンデモナイ方々ばかりでしたので、承諾させていただきました。
以前からお世話になってきた方が、大尊敬する方、すんごい団体の方々、、、
そうそうたるメンバーです。
こんな委員の皆さんと同席させていただくなんて、光栄すぎてビビります。
ぼくのフィールドは、『地域活動』
そして『ボランティア活動』。
『NPO法人』っていうのも特異な存在だと思います。
展望としては、3回ほどの検討座談会を経て、とある事業・施策の方向性を定めていくものだと捉えています。
次年度以降の予算編成や事業方針を立てていくものでしょう。
座談会の中途において、ぼくがここで書き出すわけもいきませんので、会議の中身はあえてぼんやりとさせたうえで、ぼくの頭の中にモヤモヤとあるものをアウトプットしていきたいと思います。
この会議の大きな方向性としては、
高齢者を対象としたいくつかの事業・施策、関係局・関係機関を含めた取組みがいくつかあって、それらをもっともっと意義あるものにしていこうということです。
単に数字だけでは測れないものもあるでしょうし、とは言え数字を含めた成果も伴わないと、限りある税金を多額に注ぎ込むわけにもいきません。
ということで、周辺にある課題の整理と、メニューの改変について今後考えていくという流れでしょうか。
まず、行政をはじめとした関係機関の皆さまから、関連施策について、順にご紹介していただきました。
とてもとてもありがたいことに、ぼく自身としては、大なり小なり、どの部分にも関わりがありまして、どの事業・施策のことも概ね理解できておりました。
こうして色んなところに関わり、お声かけいただいてきているという事実が、とてもありがたく、嬉しいものと感じました。
例えば、高齢者の学びの場であります年長者大学校においては、市内2箇所あるうちのひとつ、周望学舎では、重点コースである「地域ふれあいコース」の初陣をぼくが務めさせていただきました。
市社協の取組みでは、各種ボランティア講座を企画しており、今年度は主要4講座のうち2講座をぼくが担当いたします。
『学びの場』として拠点的な施設である生涯学習総合センターで行われている市民カレッジでは、『地域づくり実践講座』をはじめ、いくつかの講座を担当させていただいております。
などなど、主要なものをあげましたが、小さくとも関わっているものももっとありました。
ということで、この話題に関わりの大きいぼく自身ですが、漠然とした疑問がまず浮かんできました。
『何が課題なんだろう?』
ということです。
どの現場に行っても、高齢の皆さまは元気!元気!
どの講座でも、どの地域でも、高齢の皆さまは生きがいたっぷりに、活躍され、喜びや幸せを得ている様子を感じます。
一応、ぼくが実施する講座においては、必ず『参加型』のものを取入れており、ぼくが一方的に喋って終わりと言うのは、大きな講演会形式を除いてほぼありません。
皆さんにおしゃべりしてもらって、関わり合ってもらって、地域や受講生どうしで活かし合っていっていただくような構成にしています。
(自分で言うのも、なんですが、そうしたこともあってか)どこで出会う皆さんも、生き生きとされている様子を受けています。
どの地域でも、元気なシニア!の様子に、ぼくがエネルギーをいただくほどです。
さて、、、
で、あるならば、、、、
何が課題なんだろう?
ぼくが出会っている皆さんは数の論理で単純に考えても、ごく一部の人です。一応、年間に数千人ぐらいの規模にはなりますが、それでも北九州市内の高齢者総数からすると、ごく一部です。
関わる地域の課題でも同じですね。
NPOの名札を下げて、市内130ほどある校区の半分は行ってきました。
どの地域も素晴らしいです。ステキな地域ばかりです。
でも、「呼ばれない」地域ほど、課題・問題が多々あることを、見聞きします。
つまり、ぼくなんかの活動現場に象徴されるように、地域活動や生涯学習講座でに顔を出していない、繋がりの無い高齢者ほど、何かしらの課題を抱えているケースが多いのではないかと思います。
例えば、地域コミュニティのこと。
上手く人付き合いができない。億劫になってしまって、いつの間にか繋がるきっかけがない。孤独や孤立になっていきます。
見守り合い、支え合いに関連していきます。
地域社会のなかで、『お互い様』で時間の流れとともに、支える立場、支えられる立場。もちつもたれつで暮らしていきます。
『場』があること。
そして、そんな『場』に出てこられること。
そんな必要性を感じます。
行政の大きな課題として、
政令市の最高値である「超高齢者社会」において、
多くの高齢者の皆さんの暮らしようをいかにするか、という大きな課題なんだろうと思います。
あえて乱暴な表現をすると、
・働けるんだったら働いてほしい
・好き勝手に学ぶだけでなく活かしてほしい
・地域活動などで活躍してほしい
とっても多く居る『人材』に対して、そんな課題を設定しているんだろうと思います。
でも、働くも働かないも自由だし、
学ぶも学ばないも自由だし、
ましてや地域活動をするなど自由です。
自然の原理で、自分なりに好む方を選択するのだろうと思います。
相手の心情を変えるというよりは、自然と選択されるそれであっていくということが重要なのかもしれませんね。
ぼくが思ったのは、
働けとか、活躍しろ、とかではなくって、
高齢者ひとりひとりの、生きがいや暮らしやすさが何より重要なんだろうと思います。
山の形だけを見て評価するのではなくて、
木々のひとつひとつ、葉のひとつひとつが、実は重要で、その積み重ねが大きな山のような統計数値になっていくものだと思います。
ウェルビーイングという言葉も出てきましたよね。
幸せに感じること。
心豊かな暮らしがあること。
それを実現していくことが大切です。
物やお金が何もかも揃って、のんびり過ごしているだけで、心豊かかと言えばそうでもないかもしれません。
人と繋がり合って、関わり合って過ごしていけること。
誰かの役にたって、認められること。
そんなカタチの無いものも大切だろうと思います。
とっても関係機関の皆さんのみならず、委員の皆さんからも貴重なお話をお聴きすることができました。
ここに書くことができないことも含めて、ぼくの頭のなかを高速回転しておることばかりです。
次なる話題としては、こんな感じでしょうか。
生きがいや活躍の場を持っている人ほど、健康で生き生きと過ごされているというのは事実ベースではないでしょうか。
子どもだって、若者だって、お年寄りだって、同じ『時間』というなかで暮らしています。
それぞれの『人』が持つ、『時間』という資源を、高齢の方々も活かして、素敵に過ごされていくことが重要ではないでしょうか。
そのひとつして、『学び』があると良いですね。
一方向的・受動的な学びは、受け取るだけ、インプットだけです。そうではなくて、実践できるような活躍できるような学び、どちらかというと「アウトプットの方向性となる学び」が重要です。
でも、最初からそんなことなんてできません。
だからこそ、関わるそれぞれがお互いに、どちらも「学び合う」ことが大切で、ともに課題を見つめて話し合ったり、ともに素敵な未来に向かって話し合ったり、そんな学び合いを基盤として実現していくことが生涯学習・社会教育・ESDです。
そんな重要な「学び」を、明確に設定することが重要なのかもしれませんね。
とりとめもなくなってしまいましたが、
『学びと気付きのアウトプット』です。
貴重な時間のなか、この記事をご覧くださってありがとうございます。