『動機善なりや、私心なかりしか』
『経営の神』と呼ばれた稲盛和夫さんの訃報に接しました。
京セラ、JAL、KDDIなどの盛興を遂げた方です。
その手腕は経営の神と呼ばれるほどだったそうです。
京都で盛和塾という勉強会を立上げ、門下生、塾生、教え子は、現在の経済界に多くいらっしゃるそうです。
ぼく自身は全く存じ上げてなく、定期購読しているプレジデントという雑誌にて、稲盛さんの言葉にいくつも出会いました。
稲盛さんの功績に敬意を表し、間接的ではありますが、ぼくが教えていただいたことをアウトプットしてみたいと思います。
冒頭の写真は、プレジデントの宣伝ページを引用いたしました。
永久保存版「稲盛和夫名言録&ラストメッセージ」(プレジデント2020年9/18号) | プレジデント社, PRESIDENT編集部 |本 | 通販 | Amazon
経営の神の手法は、どんなものか?
時に非道で、巨額のマネーゲームもいとわない?
そんな思い込みがあるような気がしますが、
真逆と言え、それは
『心のこもった』経営術でした。
雑誌プレジデントには、何度も特集が組まれ、ぼくなんかは、「おっ、また稲盛さんだな」と思うほどでした。
『何のために生きるのか?』という問いや、
『誠意』『勇気』『意志』『熱意』という、ある意味、根性論として軽視されがちな現代において、根本的な大切なものを再認識させられるものばかりでした。
有名なフレーズにこんなものもあります。
積み上げていく『人生や仕事の結果』は、どのようなものでしょう?
加算方式だったり、ときに減点があってしまうのでしょうか?
稲盛さんは、『掛け算』で表しました。
ポイントは、いかに能力があったとしても、『考え方』や『熱意』が、『ゼロ』だったら、どんなにやったってゼロということ。
1以下だったら小さくなっていってしまうということ。
『マイナス』だったら、結果もマイナスになるということです。
考え方や熱意は、気持ちしだいで、自分しだいです。
まずはそこからでもポジティブに、誠意をもって取組もうじゃないかという教えでした。
色んな言葉を学びましたが、
最も強く、ぼくの胸に刺さり続けているのが、この言葉です。
経営と言えども、商売ですから、もちろん売上が上がらないと話にならない。
儲けたい、売りたい、勝ちたい。
それだけでは『私心』であり、我欲だと。
お客さんが、買う、お金を払うということは、感謝や労いとの交換であって、そこには、お客さんに対する『善』があってこそだと。
善があれば、回り回って、気持ちが集まったり、結果が出たりする。
そういった目線で経営をしなさいというようなことでした。
(ぼくなりの言葉で言い換えているので、違うかもしれませんが)
この言葉に、ぼくはハッとしました。
これまでやってきたこと、これからやりたいこと。
『私心』が大いにあるのではないだろうか。
この動機は善であると言い切れるのか?
自分さえ良ければ良い。
自分だけがもっと評価されれば良い。
自分だけが得をしたり、都合が良いような仕組みづくり。
そんな私心が些細にもあるのではないだろうか。
ぼくの場合は、大いにあるような気がして、頭を殴られたような気がしました。
この言葉に出会って以降、ぼくのチェック機能というか、フィルターとなっています。
まだまだ私心にまみれているのかもしれませんが、これからも、大切にしていきたい言葉です。
毎朝noteを書く際にも、
表現や言い回しや着眼点が、「動機善なりか?私心なかりしか?」そんなフィルターを通しているように思います。
経営の神、稲盛和夫さんから
とても大切な『心』を教わりました。
改めて、追悼するとともに、ご冥福をお祈りいたします。
今日もご覧いただきありがとうございます。