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北九州市の16年間〜北橋市長との出会い〜
昨日、時代を分ける北九州市長選挙がありました。
4期16年間を務められた北橋市長の引退による世代交代の選挙で注目が集まっていました。
オール与野党の推す北橋市長の後継者となる候補者ではなく、別の候補者が当選しました。
当初の大方の世間の予想からすると大波乱が起きた状態かと言えるでしょう。
また、大きく見れば、北橋市長の4期16年の市民の審判がくだるという見方もあったろうかと思います。
今回の選挙結果がどうのということは発言するつもりはありません。
ぼくたちからすれば最上位の上司にあたる北橋市長の16年間の功績に敬意を込め、この記事を書いてみたいと思います。
冒頭の、ミクニスタジアムの写真は、海トリねえさん🌈自分と他の誰かの当たり前は違う|noteさんの撮られた作品を使用させていただいています。ありがとうございます。
北橋市長が力を注いだ施策のひとつでもありました。
J2で小さな球場で力を付けてきたギラヴァンツ北九州の、J1昇格を目指したものでしたが、逆にJ3に降格してしまっている現状です。
当選した候補は、ギラヴァンツの更なる支援を公言していますので、今後にも期待です!!
ハードからソフトへ
16年前、前市長は国土交通省から就任された、バリバリのハード施策を展開されていた自民系の市長でした。
当時、国会議員をされていた北橋市長は、民主系のハートフルから出馬され、『ハードでなく、ソフトの施策を』との公約で、時代を変える当選をされました。
当時、国政も民主党政権に流れていたりもあったかと思いますが、ハードで牽引してきた北九州市の流れを変える候補者を市民が選びました。
生活困窮者が「おにぎりが食べたい」と遺し、生活保護も受給されず餓死されたという事も起こったのも大きな転換点でした。
道路建設などの公共事業は一切しないという公約で、ハードでなく、人に優しいまちづくり、ソフト施策に注力した行政運営を進めていかれました。
少子高齢化の時代。
高度経済成長が鈍化してきた時代。
日本の先端を走ってきた北九州市だからこそ、その後の日本全体の流れを先取りしたような状況だったと思います。
全国的にも、ハードからソフトの流れがありました。
ぼくと北橋市長との出会い
ちょっと個人的な話になってスイマセン。
仕事上での首長様というだけでなく、ぼくは個人的に北橋市長とお会いして、とても深い深いリスペクトをしています。
ちょっと、思い出話になりますが、ご了承ください。
初めての出会いは、ぼくが、初代北九州看板息子になったときに、市長を表敬訪問した際です。
カメラが回っていようが、止まっていようが、ぼくたちのような20代前半の若造に対して、美しい声、所作で、丁寧に応対されていた姿にオーラと素晴らしさを感じました。圧倒されました。
その後、お祭りの会場でお会いした際には、一緒に百万踊りの練習もしました(笑)お互いに不慣れな中、練習しました(笑)ぼくなんかより北橋市長は指先までキレイに踊られていました。
お祭りのフィナーレの花火のカウントダウンも一緒にステージに立ちました。
その前、控室がご一緒だったのですが、スピーチの練習をされていました。
これほどの人でもスピーチの練習をされるんだと感心しました。
いざ、ステージに立つと、先ほど練習していたものとは、はるかにスケールが違う、声量と高揚感!!マイクひとつで、人の心を動かしていく迫力に心底驚きました。住む世界、見えている世界が全く違うことを実感しました。
そんな北橋市長の陰の努力の垣間見えて、とても貴重な経験となりました。
翌年、ぼくは、「ひまわり塾」というまちづくり研究グループに入り、現在にはNPO法人まで成長した『好きっちゃ北九州』での活動を開始しました。
ひまわり塾は、1年間の研究・実践グループで、ぼくたちの前の先輩たちが卒業する際に、ぼく達が入塾するようになっています。
先輩たちの卒業発表を聴講し、ぼくたちの入塾式が始まります。
そこに名誉塾長?として北橋市長もいらっしゃいました。
ぼくは、最年少だったからか?看板息子で目立っていたからか?知りませんんが、30人の新塾生代表のスピーチさせていただきました。
北橋市長からすれば、数多くいる市職員、ましてや20代前半の若造なんですが、看板息子のぼくと、新塾生のぼくが、同一人物と気付かれたようです。
式典後に、お声をかけてくださいました。
『あなたの、いつもハツラツとした姿に、いつも微笑ましく、清々しく拝見しております。』
と、短い言葉ではありますが、とても綺麗な声で、こんな美しく洗練された言葉で話しかけてくださいました。
ぼくは、これが嬉しくて嬉しくて。
いまでも頭の中をエコーのように流れています。
こんなぼくでも、こんな凄い人が見てくれているんだってこと。
そして、さらっとこんなに美しい言葉を瞬時に出せる人がいるんだってこと。
とても強烈な思い出となりました。
その後も、公務の際や、お祭りでお会いした時も、お声かけいただきました。
市役所のエレベーターでたまたまお会いしたときも、「おぉ!キミはいま、どの部署にいるの?」とか、
市長室で事業説明の端っこに同席していたときも、「今年もわっしょいは踊りますか?」とか、
暴追運動の始まりの頃、その渦中真っ只中だったのですが、小倉の繁華街でたまたま遭遇した時、SPを5人ぐらい連れられていましたが、どこの馬の骨か分からないぼくを遠くから見つけて、歩み寄ってくださいました。
とても嬉しかったです。
個人的な話ばかりで申し訳ないですが、
ぼくは、人として北橋市長をとても尊敬しています。
この記事は、『北九州市の16年間』というタイトルで書き始めましたが、思い出話が多くなりすぎましたので、いったんこの辺にしたいと思います。
また改めて、尊敬する北橋市長の16年間の功績と、社会や北九州市が変化・進化・成長してきたことを、続編にて振り返ってみたいと思います。
今日もご覧いただきありがとうございます。
個人的な記事で申し訳ございません。
<1年前の”今日”の記事★>
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