『マッドゴッド』 現実の世界の混沌をアニメーションという虚構で作り上げた傑作
『マッドゴッド』(2021)は間違いなくシュバンクマイエル以来の完成された人形アニメーション作品だ。
人形アニメーションといえば、『アリス』(1988)や『オテサーネク』(2000)などで知られるチェコの映像作家ヤン・シュバンクマイエルが有名だ。
人形劇と実写の技法を合わせた表現技法は映画界に革命をもたらした。
シュバンクマイエルの『アリス』から2年後の1990年に、特殊効果アーティストのフィル・ティペットが着想した人形アニメーションが『マッドゴッド』である。
ティペットは『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(1983)と『ジュラシック・パーク』(1991)でアカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞した特殊効果アーティストだ。
『マッドゴッド』の制作は一時頓挫し、2021年におよそ30年の時を経て完成、公開された。
理解ではなく共鳴する
公式HPには上記のあらすじが書いてあるが、映画を観ていても恐らくストーリーは理解できない。
そもそもこの映画にはストーリーというストーリーがない。
この映画にはレシ(物語)もロマン(小説)もない。
ティペットが作り出した虚構の世界がそこに存在しているだけだ。
この映画にレシやロマンはないが、政治的で、宗教的で、哲学的。形而上的かつ形而下的である。
『2001年宇宙の旅』(1968)のラストや『スローターハウス5』(1972)のようにこの作品には時間の4次元性を感じる。時計や宇宙に象徴される不可逆的時間軸への反抗がこの映画のメインテーマの一つだ。
ストーリー的なものを掴もうとすると置いてかれてしまうだろう。
この映画は映像の魔術に浸り堪能することに価値を置いた映画だ。
“理解できない映画”は受け入れられるか?
『マッドゴッド』はセリフが一度も出てこない映画だ。すなわちそれは説明が一切ないということである。
近年の日本の映像作品は極めて説明が多い。
雪の中で凍えるシーンで「寒い」というし、不審なものを見かけて「何だあれは?」と独り言を言う。
このような説明セリフは脚本的には本来タブーとされている。
しかし、説明セリフでないと観客がついてこないというジレンマが現在の映像作品には存在している。
最近の若い観客にとって「分かりやすくない」ことは不親切で罪なのである。
そんな時代に『マッドゴッド』は説明を一切しない、観客に理解させるという“エンタメ性”をガン無視した映画だ。
ネットの評価を見ても「意味が分からない」「理解できなくて退屈だった」という評価も多かった。
「理解できないことの価値」を再考させてくれる時代に逆行したこの映画は僕にとってとても素晴らしい映画だった。
この映画は理解できないけれど確かに世界が存在している。
それは映画という虚構であり、現実の世界そのものなのだ。