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 私が読書に慣れ親しんだのは、親の仕事の関係で移り住んだフランスでのこと。フランスに移り住んだ私は、当然フランス語の本などは読めません。私が日本語の文字に触れることができたのは、両親がフランスに運び込んだ大量の「青い鳥文庫」だけ。

 今考えて見ると、そこには親の教育方針があからさまに見え隠れします。当時の私は決して読者が好きではありませんでしたが、触れることができる日本語は両親が持ってきた活字しかない。すると読むしかなくなります。私に読書の習慣を叩き込む絶好の機会だと考えていたのだと思います。

 1年間で約200冊ほどを読んだ私は、読書が自分の身近な習慣になり、そこから、今にも繋がる様々な知識や教養の土台を得ました。

『消滅する子どもの「読書」、読書時間1日あたり「ゼロ」が約半数の衝撃【ベネッセ教育総研調べ】』という記事を見つけました。

 ベネッセ教育総合研究所は、「子どもの読書行動の実態」に関する調査結果を発表。それによれば、「平日(1日当たり)の読書時間」を聞くと、全体の49%が「読書はしない=0分」で、次に多いのは「30分」で二極化していると指摘。蔵書数が多い、親が読書を勧めているなどの家庭ほど、当然ながら子どもの読書時間は長かったと分析しています。

 読書は、様々な知識・思考を様々な媒体を通じて獲得するための手段ですから、「読書」自体が目的になることにあまり意味はありません。私たちは読書=活字を読むことで、「国語力」に繋がると考えていますが、それは非常に短絡的な考え方です。スマホやインターネットを通じて様々な情報を得ることができる今、紙本を読むことが「読書」という概念は崩れつつあるのですから。

 私たちは、いわゆる「読書」と言う言葉を聞いて、何を想像し、また読書と言う言葉の意味をどう定義するのか。それは非常に曖昧なのです。

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