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私たちは人それぞれ様々な人生を歩みます。

 この世には一人として同じ人間がいないのと同じように、いかなる人の人生も、それが唯一無二の存在であることには変わりありません。

 一方で、私たちが「社会」で生きていく上では様々な尺度が存在し、その尺度の中で、競争することを、求められることも多いでしょう。

 おそらく私たちは学校教育の中で、様々な比較をされながら生きていき、自分という唯一無二の存在の価値と、他者との序列による価値のはざまで悩んでいくのかもしれません。

 何かを比べることが悪だという論調が昨今は強いように感じています。私個人としては、競争や比較が一概に悪であるというふうには思いません。

 主体的な比較は、自分の成長欲求を刺激してくれると共に、学びの指針になることもある。

 しかしながら、自分の存在価値よりも尺度的価値が(自分の中で)優先順位が上がると、それはおかしなことになってくる。

 〜できない私は無価値だ

 という感覚は、その人自身の精神を蝕んでいきます。

『元「奨励会」35歳男性が“プロ棋士になる道”を断念した理由。友人・若葉竜也の言葉が後の進路を決めるきっかけに』という記事を見つけました。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/23d1c65552b3205cd9df62263d07f1af9fa7375f

 栗尾軍馬氏は、幼い頃から将棋のプロを目指す奨励会に入り、日々勝負の世界の中で生きてきたそう。その過程で、勝ち負けが自分の存在価値を決める過酷な日々を送ってきたと、記事の中では書かれています。

 彼は結局、プロを断念し、その後新たな人生を進んでいくことになるわけですが、その時にやはり大切だったのは「やりたいこと」だったのかもしれません。

 勝負の世界の中でしか生きてこなかった人は、きっとどこかで、常に誰かと何かで勝負し続ける。いつしか、勝負の世界でしか自分の価値を見出せなくなるような気がしています。

 自分の存在を認めた先に、勝負の場に入る権利が得られる。

 そんなことを思います。

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