#267 「魔物」飼う私たちの心は、その暴走を止めてくれる人を求めている
指導とは何か。という問いについてしばしば考えます。指導とは罰を与えることが目的ではありません。罰は所詮、過程にすぎない。指導を通じて、彼らの悩みや葛藤、不満に寄り添い、彼らが二度と同じ過ちをせぬよう手助けすることです。
2019年7月、京都アニメーションの第1スタジオ(京都市伏見区)が放火され36人が亡くなった事件で、殺人や殺人未遂、現住建造物等放火などの罪で起訴された青葉真司被告(45)の裁判員裁判が5日、京都地裁で始まりました。
その中で被告の生い立ちが徐々に明らかになっていきます。青葉氏が犯した罪は、どんな理由があろうとも決して許されるものではありませんが、彼の過ごしてきた人生は決して恵まれたものではありません。
一方、青葉被告の重度の火傷を治療した医師である上田敬博氏の記事を読みました。
青葉被告は裁判によって自身に課される量刑を予想していたのかもしれない。懸命に治療し、リハビリを促す上田氏の意図は最初全く分からなかったでしょう。
青葉被告には自身の心の中に制御することのできない「魔物」を飼っていたのだと。その魔物は彼の人生の中で徐々に成長する。その魔物は多くの人を深い悲しみに陥れ、青葉被告そのものも破壊してしまった。
そしてふと思う。このニュースは決して他人事ではないと。自分も含めて人はみな、何かしら心に魔物を飼っているのだと。そして一歩間違えば、その魔物は簡単に暴走し、人の幸せや人生を破壊していく力になる。もし青葉被告がもっと早く上田氏にあっていたならば、、、、。そんな仮定法を考えてしまいます。
法治国家である日本において、人は自分の行った犯罪行為に対する罪を背負わなければなりません。しかし、本質的な問題は、罪を犯す人を一人でも減らすこと。
上田氏は
と語っています。
彼の犯した罪は非常に重い。彼が背負う罪は、社会復帰を可能とするものではないでしょう。彼は自分の人生をもって、その償いとすることとなる。ゴールが見える中、彼は裁判で何を語るのか。
裁判を通じて、遺族の方の無念がほんの僅かでも晴らされることを切に願いつつ、青葉被告の「魔物」の正体を公にし、二度と同じような事件を起こさないよう社会全体で取り組むことが必要です。