#148 国家のための教育ではなく人のための教育
今私たちが生きているこの時代は人類の歴史上大きな転換期を迎えていると言えます。
集団よりも個人
が大切とされる時代の到来が間近に迫っているのです
私たち人類の歴史を振り返ると
集団が常に個人よりも価値あるものとされてきました。
家族、村、
人類は様々な集団に属し、その集団が求める役割を演じてきたと言えます
近代になり国家という今までにないほど大きな組織を生み出した人類は
その国家を強くするために「学校」という制度を導入しました。
そのため学校教育は常に国家のために存在し
国家を揺るがすような思想は抑制されてきました。
現代においてもそのような思想統制が存在することが
学校教育が国家のためにあることの分かりやすい例だと思います
そして程度はどうあれ
日本における教育においても、
それが「集団のため」に行われている事実は否めません。
クラス、部活、学校
児童・生徒は何かしら自分の所属した「集団」というものにルールを課されるし、彼らの「自由」は集団の主観や印象によって制限されています。
しかし、SNSなどのツールの発達も後押しして
今彼らの一人のひととしての「自由」を制限する様々な事象が批判されるようになってきています
個人より集団という人類の歴史の99%を支配してきた概念が集団より個人という概念に変わりつつあるという
パラダイムシフトの時代に私たちは生きているのです
それでもまだ
学校教育が「社会に順応するための訓練場」の意味合いが色濃くあるのも事実
そのパラダイムシフトを後押しできるよう
学校教育が「一人ひとりが自由に幸せな人生を歩む土台を作る場」として機能する必要があるのです
そうなれば
法務省が謳う
「21世紀は人権の世紀」が到来するのだと思います
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