スーパーティーチャーとは
学習指導面において特に優れた指導力を有し、その実践的指導力に 基づき他の教員を指導し助言する教員
と定義されます。
文科省の施策にも
スーパーティーチャー制度なるものが存在します。
その制度の内容はともかくとして
個人的には「スーパーティーチャー」という名前に違和感を感じるのです。
権威主義や能力主義を連想させる名称は、現代の教育が目指すべき方法と真逆のような気がします。
武田 信子 (著), 多賀 一郎 (著)の「教師の育て方―大学の教師教育×学校の教師教育」の中で
という部分があります。
私はこの二人の会話の中におけるスーパーティーチャーはスーパーティーチャーでは決してないと思います。
非常に厳しい言い方をすれば、自分が培った能力が全て自分によって生まれ、今の自分が誰かに支えられていることに気づいていないただの傲慢さを表した典型のように思ってしまいます。
もちろん得意・不得意はあるものです。
しかし、結局何を持って能力があるかどうかは自身の主観でしかなく、不得意な部分があるのはお互い様です。
スーパーティーチャーなどという存在は本質的には存在しません。
誰かと比較し評価する価値観が児童・生徒の心に育つのは
教員自身がそのような価値観から抜け出せないからではないでしょうか。