
Photo by
soeji
#719 問題の先延ばしは「保守」ではない
教員不足の問題は、今になって始まったことではありませんが、いざ高知県のニュースを見ると、その深刻さを改めて感じます。
『教員採用試験で合格者「7割辞退」の高知県の波紋 現代の若者には通じない「やりがい」「教職への憧れ」』
記事では高知県教育委員会は、2025年度の小学校教員の採用について、合格通知を出した280人のうち、7割を超える204人が辞退したと述べています。
この事実だけでも十分に衝撃なのですが、もっと衝撃なのは、ここ3年の採用試験でもほぼ同じくらいの辞退者が出ている状況であること。
県の採用担当者も、それは想定内とのことです。
これらの問題の根源は、「問題の先延ばし」です。
病気でも何でもそうですが、初期症状のうちにちゃんと対策を打てば、ほとんどの問題はある程度のところで収まります。
それは
まだ大丈夫、まだ大丈夫と先延ばしにすると、もう手がつけられない状態になってしまう。
今私が書いていることは、小学生でもわかる理論なのですが、それが仕組みとして機能していないことが、非常に困るわけです。
私が使っているスマホも、定期的にシステムのアップデートが行われます。国の政策は、アップデートする気がないのか。これは、しばしば政治的イデオロギーとして対立する「保守」と「リベラル」の問題ではありません。
問題を先延ばしにするのは、決して「保守」ではなく、「サボり」であると言えるでしょう。
今教育現場はステージ4に突入しています。