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#739 マナーとは何か?〜石破首相の所作から考えてみる〜

 先日、ペルーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席した石破茂首相の外交マナーが問題になっているそうです。「各国の首脳と座ったまま握手を交わす」「右手を差し出した中国の習近平主席に対し、両手で握り返す」「集合写真の撮影に遅刻・欠席」…会議の場における石破首相の数々の立ち居振る舞いに対して、「これってごく普通のビジネスマナーじゃないか?」「基本的なビジネスマナーができてないように見える」といった批判の声が上がっているそうです。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/8e11ddc7c7f11311af53a3c487337b97aa52a20f

 学校教育においても、しばしば「マナー」という言葉が用いられてきました。日本は年長者を敬う儒教の影響を受けた国であることもあって、敬語や挨拶などを主とした様々な指導がなされていると思います。

 そもそもマナーとは何なのか。その本質にあるのは、相手をリスペクトする気持ちです。当たり前の話ですが、相手を不快にさせることで得られるポジティブなものはありません。自分が相手の存在を大切にし、よりよい関係を築いていきたいと思うことが、私個人の「マナー」の根源的な感覚です。

 その中で、私たちはその表現方法として様々な「技術」を身につける必要があります。人間は、文化・歴史の影響を受けています。多様なバックグランドの中で、求められる「相手への尊重表現」は当然ことなります。ある文化ではリスペクトとして持ちいられる表現が、また別の文化では侮辱になってしまうことがあるのは、そのよい例であるのです。

 日本におけるマナー指導に私は長年違和感を感じてきました。それは年長者であるからといった形式的な理由で、その技術のみを強制される。

  マナーはしばしば自分の利害関係者にだけ用いられることも多い。それは相手を尊重するためのものではなく、自分が不利にならないための利己的な感覚からくるものであるのです

 以前のコラムで書きましたが、学校教育における挨拶指導がよい例です。挨拶は本来、その行為を通じて、相手の存在を認めることにあります。しかし、コンビニの店員さんや今日エレベーターであった人に挨拶をしない人が、自分の会社や取引先などの相手に非常に丁寧な挨拶をする。そこに本質的な意味においての挨拶をしているとは思いません。

 技術的なマナーは、ある意味、それを学べばできるようになるのですが、その技術のみを強化すれば、結果その技術を利己的な側面のみで用いることに繋がり、結局、相手への尊重という一番大事な部分を置いてけぼりにしてしまうのです。

 

 

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