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#64 例えばとっても高い値段の服を見たあと、一見ほとんど変わらない服がファストファッションのお店で見つかったりする。そういうとき、どちらを選ぶかはその人次第なのだけれど、その決定が「自分」でありたい思うが、世の中の様々な影響を受けてしまっているような気がする。そういうものから「独立」した存在でありたいけど、これがなかなか難しい。

『服が好き』
これは非常に難しい概念です。

学生の頃はもちろんお金がない
ファッション雑誌に掲載されている高級感漂うかっこいいブランドの服を買うことはできません
なけなしのお小遣いやお年玉、バイト代を握りしめ、なんとか安くて掘り出し物がないかと古着屋をめぐりめぐる日々。

ようやく見つけたかっこいい服が、なんと6700円。買うか買わないか熟考。一度カフェに寄り、お昼ご飯を食べながら、冷静になってみる。

でも頭の中にはすでに答えが出ている。

電車に乗って帰る頃には、空っぽになった財布と大きな紙袋を一つ。

頭の中では家にあるアイテムとのコーディネートを考えています。

社会人になり、ありがたいことに、ある程度高価な服も買えるようになりました。
高級店に足を踏み入れ、丁寧な接客を受け、承認欲求が満たされます。
ハイブランドのロゴが入った服を身に纏い、おしゃれな街を颯爽と駆け抜けます。

最近ふと考えます。

私は『服が好き』なのか、『服を着ている自分』が好きなのか。

服はある意味では『自分を表現する』わかりやすいツールです。

もちろんその自己表現のありかたは人それぞれ。

それでも

私は、『服が好き』な自分でいたいな と思うのです。
なぜだかはわからないけど。

そんなことに思いをめぐらせながら

来月もまた京都にある素敵なお店に足を踏み入れます。


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