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#643 ロボトミーと宗教
ロボトミー(lobotomy)とは、精神疾患の治療として20世紀前半に行われた脳の外科手術のことで、主に脳の前頭葉の一部を切除または破壊することで行われました。
この手術は、統合失調症や重度のうつ病、強迫性障害などの症状を軽減する目的で行われましたが、その効果には限界があり、多くの場合、患者に深刻な副作用を引き起こしました。具体的には、感情の平坦化、判断力の低下、人格の変化などが報告されています。また、手術自体が不可逆であり、患者の人生を取り返しのつかないものにするリスクが高かったことも問題でした。
1949年にはロボトミーを開発したエガス・モニスがノーベル生理学・医学賞を受賞しましたが、後にその倫理性が強く批判され、ロボトミーは非人道的な治療法として廃止されました。
アメリカ元大統領である、J・F・ケネディの妹は、発達障害を持って生まれましたが、父親の意向でロボトミーを受け、その知性と人格を破壊され、生涯回復することはありませんでした。
日本では1979年に起こったロボトミー殺人事件が有名で、犯人は半ば強制的に医師から当該手術を受け、その復讐のため、医師の妻と子どもを殺害しました。
現代医療において、その行為は、(常識的に考えて)非常に非科学的であり、話を聞いただけで、そんな手術をして、精神疾患が治るはずがないと判断できます。
しかしながら、当時はその手術を開発した医者がノーベル賞を取るほど、「科学的」なものであると考えられていたわけで、だからこそ、多くの人が、その根拠をもとに手術を受ける決断をしたように思います。
私は「現代科学宗教」の信者です。それは、例えば、宗教や、超常現象などよりも、私にとっては信用できうるものであると考えているからです。
科学の発展は私たちの生活に実態として様々な恩恵をもたらし、それは主観や伝統に基づいた実態のない物事に対し、事実で向き合うという姿勢を教えてくれました。
一方で、現代科学においても、前述したロボトミーのようなことは十分に有り得るわけで、だからこそ、「現代科学宗教」を盲信してはいけないことを教えてくれます。
思えば、私たちの中にある思想・思考はほぼ全てのことにおいて「宗教観」があるのかもしれない。
学歴や偏差値も1つの宗教的側面を帯びているし、資本主義や民主主義もまたそうなのだろうと。
だからこそ、自分が今、どんな宗教の中にいるのかを自覚することが大切なのではないかと思ったりします。
そしてその思想もまた、1つの宗教なのかもしれません。