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 私たちが何かをするとき、そこには必ず目的がある。その目的を達成するために目標を作っていきます。例えば、〇〇大学の合格が目的の準備段階として英検○級を合格しようと思い、学習を始める。だからこそ、目的と目標を分けて考え、私が何を求めているのかを明確にする必要があります。

 学習の理由として「資格」を取るというものがあります。自分がすでに持っている知識を深めるため、自分にとって未知の分野の知識を得るために、資格の学習を始める。その意欲自体は尊敬するし、資格を取ったからこそ拓ける未来もあるでしょう。しかし、ここで少し立ち止まって考えて欲しい。資格は目的なのか、目標なのか。資格を収集することが目的であるならば別に良いのですが、本来資格の先に待っている「何か」を求めて取得するもの。つまり資格の取得は目標であるはずなのです。

 資格を取ったのに収入減――「リカレント教育」の悲喜こもごも 
という記事を見つけました。

 記事の中で紹介されているのは、二渡清美さん(55歳)。彼女は50歳前に一年前に発起し、合格率6.4%の難関資格・社労士を取得し転職。しかし、資格をとった「だけ」では顧客がつくわけでなく、以前の職種より給料は下がっていると言います。

「資格を取ることがゴールになっていたのかもしれません。“資格を取れば何者かになれる”って思っていたところもありました」

 という彼女の言葉は、今資格を取ろうとしている人たちに取って少なからず影響力がある言葉のように思える。

 同記事の中では、オンライン経済メディアNewsPicks編集長で『仕事2.0』や『資格を取ると貧乏になります』などの著書がある佐藤留美氏がならば有効な「学び直し」とは何かについて語る中で、資格について以下のように語っています。

「資格がないと就けない仕事を除いて、資格は取得しただけではあまり意味がないと思います。結局、エンジニアだろうと士業だろうと自分の技能を、お客さんがお金を払ってくれる価値に変えられるかどうかが評価の基準です。それなら定年後の安全のために資格の勉強をするよりも、今の仕事の変化に目を向けたほうが将来のためになると思います」

 学歴社会で生きる私たちは、こと『履歴書』というものにこだわる傾向があるのかもしれません。資格を取ることは、自分の『履歴書』を美しくすることに繋がるからです。しかし、履歴書が美しい「だけ」ではダメなのです。特にこれからの時代は知識をどう運用したいのかという「主体性」が常に求められるのです。私たちは常に、資格のその先を見据えなければならないのです。

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