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 「木曽路は全て山の中である」の冒頭で有名な『夜明け前』は、時代が江戸から明治に移り、世の価値観の劇的な変化に取り残されてしまった自身の父親を主人公のモデルとした、島崎藤村の名著の1つです。

 令和の時代は、第二次明治維新と言えるかもしれません。現代は徐々に集団より個人に光が当てられはじめ、私たちの多様な生き方が徐々に尊重されようとしています。

 多様な性的指向、各種ハラスメントなどが話題になる中、巷でカテゴライズされるZ世代と、昭和の価値観で生きてきた世代には、それこそ、江戸と明治ほどの違いがあるのかもしれません。

 変化。

 それはこの世の全てに起こる、普遍的概念です。私たちは、それに決して抗うことはできないし、逆に、それらを抱きしめながら生きることで、より自然でイキイキとした「生」を享受できるのではないでしょうか。

 『日本でジョブズは生まれない…「イノベーションを起こせなくなった日本人」とイノベーションを起こす人の決定的な違い』

 『老後は上機嫌』の著者である池田清彦氏と南伸坊氏は、日本でスティーヴ・ジョブズ氏のような起業家や、アップルが起こしたイノベーションが日本で誕生しない理由が、「一度決めたことを変えるのは恥」と感じる日本人のメンタリティーにあると指摘。

 本来、自分の意見や価値観が変化することが当然であるにも関わらず、何かしらの競争原理や不必要な平等性が、変化を妨げることにつながっていると両者は語ります。

 意見は、コミュニケーションしてるうちに変わるもんなんだよ。自分が言ってることで相手が変わって、相手の話を聞いて自分が変わる。同期してお互いに変わるのがコミュニケーションの本質なんだよ。(中略)僕が3回目からコロナワクチンを打たなくなったら、「おまえは一貫性がねえ」とか「打ってたのに、なんで途中でやめたんだ」とか言うやつがいるんだよ。「研究が進んで、エビデンスが変わったんだから当たり前だろ」って言うんだけど。

 自分の変化を受け入れることができれば、青山半蔵は明治の時代を謳歌できたかもしれない。

 馬籠宿の世界の中で時代に取り残されるか、そこから世界に羽ばたくのか。

 自然の摂理としての「変化」を受け入れない存在には、それこそ、淘汰が待っているように思います。


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