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タカラブネのケーキ《iquotlog》

 きょう湊川の東山商店街を家族と歩きながら、ふと思い出した故郷和歌山でのこんなエピソード。
 大学入学のために和歌山を出るまで、自分はケーキという食べ物が好きではなかった。だらしなく型崩れしやすく、ショートケーキにいたってはクリームを食べると吐き気を催させ、載っているいちごにはそのクリームがついて、せっかくの苺を食べるのも水溜りに落としたのを拾い上げるような惨めさ。チョコのケーキの水増しして薄めたような風味、プラスチックにメッキを施したようなチョコのコーティング。たいてい祝い事に伴って出てきたので、出されれば食べたが、どう考えてもいちごもチョコレートもケーキに使う前の材料のままのほうがおいしいのに、どうして人々はケーキが登場すると欣喜雀躍きんきじゃくやく、有難がって召し上がるのだろう、そう思っていた。
 ところが神戸に出て一人暮らしを始め、何を思ったかひとりでケーキ屋に入って「オペラ」というケーキを買った。どうせ何かの雑誌にたぶらかされて迷い込んだのに違いないが、この「オペラ」が信じられないほどおいしかった。確か450円か500円くらいして、「わかば」とか「エコー」などと同等の値段のケーキに比べれば、とんでもなく高かったのだが、CDに比べれば安かったので買ってみたのだ。貧乏学生で、高校時代まではどこでも自転車で無料で移動していたのに、坂が多くて阪急や市バスに乗らなければいけない交通費を痛手に感じていたところ、なんという贅沢か。
 あの「オペラ」で洋菓子の美味しさに開眼したぼくは、それからも何度かケーキ屋に足を運んだ。住んでいた東灘区の店を中心に何軒かの店を回った(断っておくが、その古さのゆえに60年代日本を舞台にした映画のロケ地にもなった寮の敷地に住んでいただけで、高級住宅地と自分は何の縁もゆかりもなかった)。
 吐き気がすると思っていたショートケーキにも挑戦した。でもいきなりいちごは心理的にハードルが高いので、「いちじくのショートケーキ」にした。今から思えば、聖書の字面でしか知らなかった未知の果実「いちじく」を選ぶ方が嘔吐を催しそうなものだが、生まれてはじめて食べるいちじくも、それを含んで構成されるショートケーキというものも、食してみれば実においしかった。スポンジがふわふわでなければならない理由もわかった気がした。ケーキの柔らかさは、型崩れを起こしやすくするための細工ではなかったのだ。
 それでぼくは神戸のケーキはレベルが違うのだと認識した。和歌山では洋菓子チェーンのケーキしか食べたことがなく、和歌山で頑張っている洋菓子屋さんのことは何も知らなかったのだから不公平だったけれど。
 そこで神戸のケーキのことを電話で家族に吹聴した。母は神戸出身なのでもとより神戸びいき、「さもありなん」という感じだったかもしれないし、パン(スーパーの食パンでも構わない)が好きな父は大して興味も持たなかったかもしれないが、少なくとも妹は感銘を受けていたと思う。あとあの頃はまだ実家にティムというマルチーズがいた。言葉は通じないが、ケーキを出したら食べただろう。
 あるとき、昔からお世話になっている方の家に、ぼくが帰省したタイミングで家族でお邪魔したことがあった。話頭がぼくの神戸での生活のことに転じたとき、ぼくは迷わず神戸のケーキの話をした。
「神戸のは別物だ」
「レベルが違う」
「和歌山にいるころは好きになれなかったが、神戸ではじめて好きとわかった」
「タカラブネのはもう二度と食べられない」
 どういう遺伝子を持って生まれたかわからないが、自分にはこと「けなす」ことにかけては自分の持てる表現力を総動員するきらいがある。上記の発言は塩素で消毒して無毒化しているが、だいたい内容的にはそのようなことを語った。和歌山のケーキ以外に傷つくものはないと思っていたのだが、ぼくが得意になって話している間に、その家のおばさんが妹に耳打ちして何か言っていた。妹はまず強く首を振り、それからおばさんに向かってうんうんとうなずいていた。おばさんもうなずいてその場を退いた。
 しばらくあと、お盆にのってタカラブネのケーキが出てきた。ぼくは頭の中が真っ白になった。自分はその中にぽつんと座るいちごだった。かつて汚れ物と認識していたショートケーキの上のいちごだった。
 地元のケーキを罵った同じ舌が、自分を饗応するために出された地元のケーキをあじわう。一口ごとに舌がぴりりと痺れた。何も言わずにフォークで柔らかなスポンジを切って口に運び、コーヒーをすすった。どのようにしてあの場を切り抜けたのか、今はもう思い出せない。ちゃんと謝ることもできなかったのだろう。今でも申し訳なさをひきずっているのだから。
 あとで妹に、おばさんは何と言ったのかたずねた。おばさんは、
「タカラブネのケーキ、あかんか?」
と聞いたそうだ。
 自分は大学卒業後、2、3年実家で塾講師をしたりしながら過ごした。就職氷河期世代である。CDより安いから高いケーキを買うという貧乏な癖に浮世離れした思考の持ち主だったから、まともに就職活動もせず、実家に帰ったのだ。パンの好きだった父を亡くしていたこともある。その間に家庭教師もした。授業に行くたび、休憩には親御さんがケーキを用意してくれていた。生徒といっしょに楽しみに食べた。紅茶専門店でアルバイトもして、そこはケーキも作っていたから、自分がケーキ作りの手伝いをすることもあった。
 今は再び神戸に住んでもう15年近くなる。東灘区などというお上品な地域には今も縁がない。阪急沿線でも王子公園駅という庶民的で商店街が元気な町に住んだ。引っ越して今は湊川の東山商店街にときどき出かける。この商店街も活気があって好きだ。
 50円でコップ一杯のよく冷えた甘いレモンジュースやひやしあめを飲める店がある。子どもたちにつくりたてのさきいかをわけてくれる店があって、そこでさきいかを一袋買う。妻は八百屋でしめじを4パック買う。
 商店街を少し離れるとお上品で今風の洋菓子屋さんがあったりするが、商店街では何もかもが安い。そしておいしい。
 お上りさんで、一口かじっただけの神戸のケーキに感動した自分は、のぼせてしまったのだろう。本物はこうなのだ、レベルの違いが必然的に高級感を生み出すのだ、そして自分はモーツァルトを聴いているし、ロックもジャズも年齢の割に通だ。そうやって勝手にドイツ車を乗り回す人々の仲間入りをしたつもりになっていたが、地元の商店街に包まれるように溶け込む自分の姿を俯瞰すると、自分なんて全然大したものではないのだと改めて思う。こんなことを考えること自体、まだまだ慢心する癖が抜けきっていない証拠だけれど。それにドイツ車を乗り回すことが大したことでもないのだけれど。
 これまで自分に幸せを満載して届けてくれたのは、家族をはじめ自分を大切に思ってくれた人たちなのだと改めて思う。神戸の洋菓子大使となって演説をぶっていた自分に寄港してくれた「宝船」のおかげで、自分が何者かなのか、いまも正気にかえることができる。
「タカラブネのケーキ、あかんか?」
 いや、そんなことはありません。
 喜んでいただきます。
 ただ知らなかっただけで遠ざけていたケーキも、今からぜんぶ食べ直したいくらいである。従姉妹の誕生日の抹茶ケーキも、自分のときのチョコケーキも。クリスマスに教会でひとりずつ配られたタカラブネのケーキも、ぜんぶ。

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