たからもの
9周年おめでとう。
6月13日が過ぎてあえて何でもない日に投稿してみる。
当たり前ではない9周年を、当たり前のようにまた一緒に迎えたお祝いの日を、なんとなく、ただ記録のように残しておきたくて。
(ただ完成がこんな遅くになるとは思ってなかった)(6月30日現在)
9
8周年のペンミSOWOOZOO -소우주- から一年が経った。
あの時はまだ7人の目の前にはアミがいなくて、「会いたい」がお互いの口癖で、"もう少ししたら会えるかもしれない"という希望だけが支えのような日だったね。
だけどその頃からか、7人の口から「会いに行きます」が増えたような気がする。憶測にしかすぎないけど、私の知ってる少年団たちは嘘をつけないから、"何かいい事があったのかな" "もしかしたらその時が近いのかもしれない" なんて想像してた。
きっと良い決定があったとしても、誰も予想できない世界をただ願い、祈ることしかできなかったと思う。
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2021年11月。
そんな彼らの願いがやっと届いた。
そこに辿り着くまでも苦渋の決断がたくさんあったはず。
私たちファンはその瞬間を7人と一緒に悲しむことができないし、励ますこともできない。
それが少し辛い現実だけど、この7人が一緒だから乗り越えられたんだろうとも思う。
いつかのこんな言葉が思い浮かぶ。
私は7人が一つの空間に集まって、このグループについて思うままに話している空気感と7人の表情が大好きだ。
それに字幕が付くものであれば、まず字幕が追いつかない。
もしくは一部拾えてない。
それほどによく喋り、譲らない、騒がしい人たちだ。
だけどお互いへの想いを少し恥ずかしそうにしながらも、言葉に変えて伝える人たちで、
誰かが自分のことを否定するもんなら、他の誰かがその人のことを認める。時には怒る。そして慰める。
そんな7人の瞬間をずっと愛していたい。
形には残せない、それでも覚えておきたい宝物だ。
当たり前のようで、
当たり前ではない7人一緒の9周年。
おめでとう。
そして心からありがとう。
Proof
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何かの節目や残しておきたいnoteは数日かけて完成させてきたけど、2022 BTS FESTA‘찐 방탄회식’ を観終えた私は今、このnoteの続きを開いた。
殴り書きのような、見返したら訂正ばかりの文章になりそう。それでも一人では抱えきれなかった。
何も考えずにただ心のままに言葉にすると整頓されるような、少し考えがまとまるような、そんな気がして。
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今の自分の気持ちは、正直分からない。
「これだ」という言葉が見つからない。
まだ信じられない自分と、彼らの言葉がしっかり腑に落ちている自分が一緒にいる。
言葉を選びながらも伝えてくれた、彼らの最大限の本音を受け取った気分だ。
心からの思いと訴えなんだと直感的に感じた。
寂しい
苦しい
それでもやっぱり愛おしい
大好きだからこそ正直でいていいと思ってる。
正直でいてこそ、また彼らと向き合える気がするから。
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私の知ってる7人は、いつも横並びで手を繋いでくれる人たち。
同じ場所に立っていて、決して置いていかない。
少し進むのなら手を引っ張ってくれて、
時にはこっちへ戻ってきてくれて、
また横並びになる。
きっとこの距離感は7人も私たちファンも望む心地のいい距離感なんだと思う。
どんな時でも、もちろんこの会食でも、
彼らが話す時にはいつも中心にARMYがいる。
7人が届けてくれる愛はきっと私たちにしか分からない。
目に見えない宝物である。
だからこれをわざわざ説明するのはやめておこう。
この会食を通して、私の中で少しうやむやだった答えが聞けた気がした。
一つ一つが当てはまっていく感じがする。
彼らはファンのことを本当によく知っている。
話してることも、気がかりなことも、もちろん喜ぶことも。
だから根拠もない誰かの「そうかもしれない」がネット上で形を変えながら広まっていく光景は本当に見ていられない。
それが本当かどうかも言えない本人たちと、言及してもまたもやその一言が大きく取り上げられる世の中。
何もできない自分と信用できないあまりの情報量に苛立ち、画面を閉じることもあった。
「ARMYは分かってくれる」
会食でも何度か出てきたこの言葉。
これまでのファンや世の中の様々な声もきっと彼らに届いている。
7人が好きな音楽、ARMYが聴きたい音楽、世の中が求める音楽。
7人が魅せたい姿、ARMYが見たい姿、世の中が待ってる姿。
7人が届けたい言葉、ARMYが欲しい言葉、世の中が聞きたい言葉。
今では「世界の」が修飾語につく彼らはあまりにも多くの"世の中"と向かい合ってきたのかもしれない。
そんな姿を見て勇気づけられ、ファンであることが誇らしくて嬉しくて、そして心配だったことも事実だ。
私たちには見えないスケジュールと、計り知れないプレッシャー。
「分かるよ」「強い人たちだ」と言うには無責任なほどに。
パンデミックの中、ステージの大好きな7人がファンに会えないまま先の見えない道をひたすら走り、ただ願い、大きな結果を得られたと思えば、遠くから聞こえてくる評価たち。
彼らの本当の気持ちは何だっけ?
その答えは'Yet To Come'に載っていた。
あ、そうだ。
「世界中に注目されるビッグなBTS」が好きな理由ではない。
ステージに立って、ARMYに囲まれて、キラキラ輝いて、はしゃぎまくって、
喋れば字幕が追いつかない人たちで、よく分からないことでずっと笑ってて、誰かが彼らの関係性を否定しようとも残念ながらあれは本当に仲がいい。
どれだけ「少年団のことが好きだな〜」と感じても、
7人が好きな7人の愛には勝てないと思うほど。
そういうところが好きなんだ。
こんなグループにはもうこの先も出会えないと思う。
言葉で説明するにはあまりにも勿体ない人たちだ。
私たちが知る彼らの面は、一部かもしれないし、思ったより見せてくれている面なのかもしれない。
だけど彼らを見てると、私が7人を好きな理由が分かる。
「だから好き」
言葉ではうまく説明できない、感じていたい理由である。
今更ながら、このグループに出会えて私は幸せ者だ。
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この言葉は彼らの口から何度か出てきていた。
「着地」はマイクを置く瞬間を意味していたのかもしれない。
時には、上へ上へと上り詰めたその高さの恐怖心やプレッシャーのようにも感じた。
だけど、「どうなるか分からない未来を考えるよりも今を大事にしよう」「そういう日がいつかは来るはず。だからこそ今頑張るべきだ」というナムさんの言葉も忘れられない。
会うことが許されなかったこの約2年半の中で、これからを示唆する言葉が増えた気がした。
「ずっとステージに立っていたい」「歌い続けます」
気のせいかと思っていたが、今回のアルバムで証明された。
想像もできない過酷な日々と幸せな数々の瞬間を経験してきた彼らは、これからも 防弾少年団 でいることを選んだ。
このアルバムProof、そして彼らの選択肢はこれからも防弾少年団でいるための方法だった。
私たちの前を歩いてくれる、そんなアルバム。
防弾少年団と同じ時間を生きていることが実感できた時、彼らに出会えて良かったと心から思う。
そんな瞬間もまた、すべてが宝物である。
My Universe
彼らは私の全てであり、一部である。
生きる糧であり、頑張る理由。
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私たちは彼らをどんな熱量で応援しようとも、時には離れても、また近づくのも、自由だ。
だけど彼らにはその選択権はない。
疲れたからとその場で立ち止まることも、
少しゆっくりしたいから離れていたいとも言えない。
ましてや全てを7人一緒に動いてきたチームだ。
一人が立ち止まりそうになったのなら両手を繋ぎ、背中を押して互いに支え合ってきたのだろう。
そんな彼らが、彼ら自身で選んだことを教えてくれた。
防弾少年団をずっと続けていたい。
そのための時間を今持ちたい、と。
スッと入ってきた。
複雑な心境のどこかには、彼らからの言葉に嬉しさと安心感のようなものさえあった。
7人がくれた沢山の思い出と言葉一つ一つが宝物だということも、
その時間が頑張る理由だったことも決して嘘ではない。
だけど正直やっぱり土台には「会う」ためにひたすら耐えて、耐えていた自分がいたことも事実だ。
だからすぐには受け止められなかった。
ごめんね。
繋いだ手のまま足を前に出す勇気がなくて、ごめんなさい。
だけど本当にありがたくて、大好きで、これからも横並びで手を繋いでいたくて...
そんな思いが行ったり来たりしている中、会食が公開された次の日にはテレビやスマホの画面は彼らの話題で溢れていた。
たとえ世間がどんな風に彼らを解釈しても、メディアがあの1時間の会食の中のほんの一言だけを大きく取り上げていたとしても、
私たちは彼らが話してくれたことだけを信じていればいい。
今回だけではなく7人のこれまでや想いを汲み取れば、何を信じたらいいのかよく分かる。
それに本人たちが「大丈夫です!」「これからも防弾少年団でいるためです」って言うから、私もそんな気がしてきた(少年団信者)
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(ちなみにさっきジョングクがVLIVEをつけた)
ジョングクが改めて解散ではないこと、まだ7人でのスケジュールも沢山残っていること、だから心配しないで!って伝えてくれた後にこれを書いてたら、なんか元気にもなってきたな(単純)
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誰かを愛する方法を教えてくれる人たちで、
どんなことも綺麗なものに変えて見せてくれる人たち。
いつの日か振り返った時に笑えてしまうような、
読み返すとくすぐったいこの文章みたいに、
これからも私の方法で彼らを愛していたい。
ひとつひとつ宝物を拾い集めるように。
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明日も7人が幸せでありますように!
私たち、花道だけを歩こうね。
mogu