一個の人間でありたい。
恒例の押し言葉の時間です。
最近はvoicyを聴きあさっているのですが、
荒木博行さんのbookcafeにハマってます。
そこで紹介されていたのが、
武者小路実篤の詩。
胸を打たれたので、
そして考えさせられたので。
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自分は一個の人間でありたい。
誰にも利用されない
誰にも頭をさげない
一個の人間でありたい。
他人を利用したり
他人をいびつにしたりしない
そのかわり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい。
自分の最も深い泉から
最も新鮮な
生命の泉をくみとる
一個の人間でありたい。
誰もが見て
これでこそ人間だと思う
一個の人間でありたい。
一個の人間は
一個の人間でいいのではないか
一個の人間
独立人同志が
愛しあい、尊敬しあい、力をあわせる。
それは実に美しいことだ。
だが他人を利用して得をしようとするものは、いかに醜いか。
その醜さを本当に知るものが一個の人間。
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憎しみや苦しみ、怒りや嫉妬を知らない人は、
一個の人間にはなりきれない。
知らないというのは、その言葉そのままを意味するわけではないと感じました。
その感情を隠してしまう、「そんなこと思ってないもん」と強がってしまうような姿勢では、一個の人間にはなりきれない、ということなのかもしれない。
元カノに嫉妬だってする、
くそーって思ったりする、
何で自分だけ!とイライラもする、
でも、そういう感情が一個の人間になるための、大切な糧でもある。
コップは飲み物がなければ、
言葉の意味をなさないように、
感情も同様のことが言えるのかもしれない。
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