しびれる短歌。
さて、恒例の押し言葉。
今日は私の好きな穂村弘さんと、東直子さんの対談書籍「しびれる短歌」から、ひとつ短歌を紹介します。
穂村弘さんは、実は彼から本をもらって初めて知りました。
(そして彼と付き合うきっかけになった本でもある。きゃーロマンティック!!この話はまた別で。)
ちなみにもらったのは、この本ね。
そんな話の後に、こんな温度感の短歌かよ!
とツッコミが入りそうですが。
したあとの朝日はだるい
自転車に撤去予告の赤紙は揺れ
岡崎裕美子
もうこれはあれです。
言っちゃいますと、やったあとの、朝帰りの歌です。
わたし、こういうのけっこう好きなんです。(笑)
きれいめも好きなんですけど、
人間臭さがプンプンにおってくる言葉も好き。
カウンター五席くらいの汚い居酒屋さんで食べる
良くわからない燻製を食べたときのおいしさと似ている、
「愛くるしさ」が沸き起こります。
私の解釈ですが、なんかわかんないけどそういう関係になってしまった人と、金曜日の夜、いつものように家にいき、いつものようにコトを終え、帰っている土曜日の朝、「あ~、わたしって終わってんな。」とか、焦燥感と劣等感と無力感に苛む、でも愛はくれっていう女性。
吉澤嘉代子さんの「残ってる」のPVを思い出させます。
あれよりも、もう少し、年上のおねえさんで、廃れている感じ。
時には、するめ噛みながら、「なんか、満たされないよね」って話をしたり、ポテチ食べながら、「好きだけど、付き合うとかじゃないんだよね」って話をしたりも、するわけです。
まあ、女も、
いろいろあるんですわ。(笑)
完全に個人的見解ですが、
女性って命を産む存在なので、
性に対しては、たぶんとても敏感なんじゃないかなと。
フェムテックも台頭し、セルフプレジャーグッズなども最近は増え、
女性と性の関係性、性という世界における女性のポジションも、
大きく変わってきたなと感じます。
フェムテックについては、こちらのnoteでとても分かりやすくまとめてくださっています。
この本の中でも恋の歌に関して、
「身体的」なものと結び付けた歌が女性は多いと述べられていますが、
性という違う角度で自分を観察できるように、
もうひとつの鏡を、女性は持っているのかも。
それが世間的にいいか、悪いか、とかは別として。
そういう鏡を1枚携えていることは、視界が切り替えられるキッカケにもなる。見える自分が多ければ多いほど、きっと、それは「つよさ」や「やさしさ」にもつながる。(反対に傷つくこともその分多いので、というロジックでね。)
まあ女性って、いいこともあるんじゃないかなって、ふと思えました。