#Blacklivesmatter も重要。では障害者は?
こんにちは。川島田ユミヲです。
近頃、TVのニュースでもSNSでも目にするこの悲しいニュース。
もう、サムネの写真を観るだけでもいや。悲しい。あってはならない事だ。
この悲しい出来事や、その後アメリカ国内で激化するデモの様子など、日本の著名人の方々がインターネット上で声を上げている。
あと、私の友人知人でもこの動画をシェアしている人が多かったんだけど
素晴らしい31歳。もちろんアクションを起こそうという気持ちの45歳も、いてもたってもいられずその場に来た16歳も、素晴らしいと思います。
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本題に入る前に私のおおまかなスタンスを表明するならば、人種差別、それに伴う傷つけ合いがなくなれば、と願っています。
しかし、なくならない。なくならないから今回のような事態が起きている。肌の色の人種差別は、歴史を遡ると色々根が深いからだろう。(その歴史に関してはかなり勉強不足なので、色々根が深そうという事しか言えないのですが)
私は生まれてこの方パスポートを取得したことがありません。故に、日本以外の国に行った事がありません。
アメリカだけではなく世界中の様々な国で、人種差別に限らず様々な問題が起きては暴動や戦争が起きています。
もちろん悲しい事ではあるし、争いがなくなればいいと思っています。
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しかし私には、外国人の人種差別以上に考えてる問題がある。
障害者差別問題だ。
自分の生活に最も身近にある問題だから。
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ぶっちゃけ今回の「黒人への人種差別、NO!」のムーブメントに対して、より厳密に言うと日本人が発信する「黒人の人種差別、NO!」に対して、問いたい。
津久井やまゆり園の事件のとき、あなたは「NO!」と唱えましたか?
2016年7月26日に、日本で起きた痛ましい事件です。日本国内で起きた障害者差別甚だしい事件です。今回のアメリカの人種差別の事件、それが発端となった大規模デモのニュースを見て、私は真っ先にこの津久井やまゆり園の事件を思い出しました。
もうひとつ問いたい。
人種差別と障害者差別は、別ものですか?
もしかしたら、今回のアメリカでの出来事やそれ以前から多発している人種差別による殺人事件や銃撃事件と、相模原の一件を、一緒くたにしてはいけないのかもしれない。
でも、数の問題じゃない。あってはいけない事だから。数の問題ではない。
今回、アメリカの人種差別に関してSNSで声をあげた日本人の皆さまで、障害者差別に関して特に何も発言したことがない人は、今一度この相模原の事件に関しても考えてほしいし、ぜひ提言してほしい。なんなら意見を聞かせてほしい。人種が違うとか、障害者だから、なんて理由で殺されていい人間などいないからだ。
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外国の人種差別の問題は先述した通り勉強不足なので、なぜ障害者差別が起こるのかという話にします。
障害者差別って、いわゆる「普通のことができない」と思われる事だと思うんです。もっと厳密に言えば「他者によるモノサシで“できない”と決めつけられる」事じゃないかな、と。
私はひねくれ者で「普通ってなんなん?」とか「人と同じなんてまっぴらごめんだぜ!」みたいな自我が小学生ぐらいの頃からあり、障害者家族である事はさほど関係なく「“普通”アレルギー」でした(今はだいぶ緩和したと思いますが…)。
しかし障害者差別って、ひょっとすると「障害者家族の歩み寄りが足らないいのも、原因のひとつなんじゃない?」というのもあります。
障害者家族の全てではないし、障害当事者の方の発信や、障害者家族の訴えによって、世の中の流れは昔よりもだいぶ変わってきていると思う。今ではパラスポーツだったり映画館でのUD Cast上映とか、双方の距離はなかり近づきつつある。
じゃあ、我々は?我々、障害者家族はどうよ?
周りが理解してくれない。受け入れてもらえない。うちは世間とは違うからひっそり暮らしていこう。うちの子にはできない。うちの子は迷惑かけちゃうかもしれないから。
扉が開いて光が差しているのに、その先へ進めずに立ち止まっていないだろうか。
あたたかく手を差し伸べてくれる人がいるのに、手を伸ばしてつなごうとしないのではないだろうか。
「障害者差別、NO!」と唱えづらい世の中にしている原因の一端は、我々障害者家族にもあるのではないだろうか。
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だから私は弟を連れて今日も明日も、この先どれくらいまで一緒にいられるかはわからないけれど、ともに暮らせるその日までずっと、色んなところに出かけたいし、色んな人に出会いたいのです。
もちろん、無理やりではないです。本人の意思や体力を尊重して。
世界中で起きている差別問題も、もちろん重要だけど、私は私に関わる周囲の人たちの意識に問いかけられる行動がしたい。それがまだまだ小さな円(まる)かもしれないけど、その円が少しづつでも広くなったり、円が複数になればいいと思っています。
最後までお読み頂きありがとうございました。