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いまより若かったあの頃

私は若い頃にIT企業に勤めまして、その後に清掃会社、建設会社、プレス工、スーパーの店員、警備員という具合に仕事を転々としました。

最初の就職はバブル経済真っ只中!

大手企業のバブル入社組でしたから待遇も良かったです。

ゼネコンへの転職は1995年。

入院とデイケアを経て、再就職に臨みました。

就職面接の日にオウム真理教の地下鉄サリン事件が報じられていたのを憶えています。

当時はまともな精神薬が無い時代でしたから、副作用で頭がレロレロ((笑))それでも気力で通勤してましたが、そんな無理が続くわけがありません。

結局倒れて、その後に日本経済の衰退と共に苦労が多い時代に突入していくことになります。

そんな中で、いまでも楽しい思い出として残っているのは札幌市内で新聞配達をしていた頃です。

社員やバイトが家族みたいな繋がりがあって、毎日とても愉しかったのを憶えています。

新聞店勤務は底辺の仕事ですし、札幌市内は家賃も高かったですから社員もアルバイトも みんな慎ましい暮らしをしておりましたが、貧しいけれど時間だけは沢山あるという幸せな時代でした。

私は毎朝毎夕に新聞を配達して、休み時間は昼寝をしたり、白石区内のスポーツジムに通ったり(体が資本でしたから(笑))、住んでいた木造風呂無しアパートの近所にあった「美善湯」(みそのゆ)という銭湯に出かけたりしたものです。

若かったあのころ。

いつか今よりマシな暮らしを手にするんだという夢さえあれば生きて行けた。

少々ご飯が食べられなくても、家賃をひねり出すのに必死でも、毎日がとても愉しかった。

その後、苦節の時代を超えて空手指導員として免状を貰うことができました。

いまは不相応な肩書きの付いた名刺配って歩いて、毎日ホームオフィスで格好悪く四苦八苦して、そしてやっぱり、貧しい暮らしをしていますww(笑)。

それでも、カミさんとふたり、3度の飯が喰えて、自分のいちばんしたいことを仕事にしている自分がいる.....................。


いまの私は本当に幸せ者。


もしもいま、若い頃の自分が目の前にいるなら「どんなにまわりみちをしたとしても、苦労するのは悪いもンじゃないよ」と言ってやりたいです。


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空手アホ一代
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