引退は栄光か、破滅か
日本社会の悪しき点の最たるものは、高齢社員が多すぎる、という点にあります。
いまはハンコはもう使われませんが、コロナ禍の前までは稟議書(りんぎしょ)ひとつとっても、あまりにも多くの役員のハンコをもらわねばならなかったですし、それらのハンコを押す高齢社員のひとりひとりが「オレは聴いてねェ!」などと勝手なことを言いますから根回しだけで若手が疲れてしまう、なんてことが当たり前にありました。
日本の高齢者の多くは独立独歩というモノの考え方がありません。
そこが諸外国の高齢者といちばんちがうところではないでしょうか。
例えば、高齢社員はアプリケーションに疎いですし、仕事はほとんど若手社員に丸投げですので ロクに働かないわけです。
実質的な仕事はろくに勤まらないのに組織からつまみ出されるのを極端に恐れる。(外資企業ならとっくにクビを宣告されているでしょう)
つまり、潔く引退して自分自身の足で生活してみようという根性が根本的に無い。
典型的な年寄り、というか日本の高齢社員は晩節を汚すことなく引退するという選択肢から目を背けているようにすら思えます。
それに比べて、若い社員達はリタイア(引退)後の生活を愉しみにしていて、オカネの目処が付くならサッサと引退したいと考えているひとが多くを占めます。
このスピード化の世の中で社会に通用するのは、ほんの30年弱くらいなものだと彼らはよくわかっている。
年金問題に代表されるように「国家や社会は自分たちに何もしてくれない。頼るつもりも無い」と若者の多くが言うのです。
引退するまで懸命に働いて資産を増やし、引退を決めたらすべての資産を現金化して暮らすことを彼らは理想としている。
40代後半から50代前半には現役を引退して、やりたいこと、我慢していたことを実行に移す。
これこそが理想の社会生活だと彼らは考えているのです。
すくなくとも、わたしの若い頃より余程覚悟のある生き方をしておられるのが今の若者。
労働者たるもの、引き際が大事です。