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「般若心経」は "あきらめ"の境地かも!

以前、FB友達の記事の中に、エッセイストで小説家の山崎ナオコーラさんの「あきらめるのが好き」というエッセイの内容を抜粋しまとめられた話が掲載されていた。
山崎さんは「あきらめるのが好き」のコラムの冒頭に、歳を重ねていくとあきらめることが増えていく、と。それも二十代からあきらめ人生が始まっている、と書かれていた。
失恋が好き、あの人をあきらめられる。
失業が好き、買い物をあきらめられる。
次から次へとあきらめていくと、素っ気ない私が見えてくる。自分が明らかになっていく、とある。

若いときから、あきらめずにがんばることが生きていく証のような生き方をしてきた人間には、この言葉は抵抗がある。しかしながら、FBを読ませていただいたとき、的を射た内容にいささか驚いた次第である。

今日は、昨日に続いて泉佐野市生涯学センター主催の「仏画曼荼羅アート」講座である。心経の想いがみなさんに届けばという願いをもっている。般若心経を学ぶ中で "あきらめ" という新しいキーワードが妙にスッキリする。あきらめて一旦終わる。そして、また何かがゼロから始まる。
それが般若心経の真髄ではないかのように思えてくる。

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よろしければサポートお願いします。日本の伝統文化に関心を寄せています。若いころに文化圏の異なる地域の方たちとの交流で日本のことをあまりにも知らなかったことに気づかされ、それがきっかけで広く浅く学んでいます。拙いレポートですが、お目に留めていただければ幸です。