人生の節目、あるいはコンマについて4
九州出身の人達に、僕は惹かれることが多かった。
僕が出逢ってきた人に限り、ということには無論なってしまうけれど、彼らの気質は不思議と、自分のパーソナリティによく馴染んだ。
女性はどちらかというと小柄の人が多くて(なぜだろう)、笑顔は明るく人懐っこい。けれどその内面は非常に芯が強く、自立精神の旺盛な人が多かった。男性はというと、こちらも一見気さくで穏やかな雰囲気を纏いながら、内面の激しい情動・強いこだわりが時に見え隠れする。生まれながらに個性的で、平然と創造性に溢れた我が道を進む印象が強い。さらに男女に共通しているのは、皆が揃って端整な顔立ちをしていた(なぜだろう?)。
九州の人たちは地元への愛着が強く、外へ出ない人も多いと聞く。僕が出逢った人たちは皆、関東へと移動してきた人たちな訳で、だからもしかすると九州でも特殊な部類の人たちかもしれない。ともあれ、僕は出逢った人とやり取りを進める中で「これは」と感じた際、出身地を聞いてみると、多くの場合に福岡や佐賀、熊本といった言葉が返ってきた。そしてその都度、「なるほどな」「不思議だな」というしみじみした驚きと共に、九州への特別な思いをひとつひとつ積み上げてきたのだった。
そんな僕が、今後数年にわたってみずから九州の地に身を預ける。それがどれほどの楽しみであるか。浴場の中であのような感情が残っていたことは別として、僕はたしかに、新天地での生活を心待ちにしていた。何かの運命に違いない、とさえ何処かで考えていた。
大学病院の敷地内に借りた古いマンションで、これからどんな暮らしが待っているのだろう。明日に京都を発ってしまえば、まるで想像もつかない新たな生活がいよいよ始まるのだ。
脱衣所のロッカーを開き、衣服をひとつひとつ身につけながら、僕は再び前向きな気分へと戻る自分を確認していた。大丈夫。この後お昼に時間をもらっているXXさんにも、夕食を共にするYYさんにも、僕は楽しく報告することができるだろう。着替えを終えて鏡面台の前に座り、設置されたドライヤーで髪を乾かす。鏡に映った自分は、ツヤツヤとしてほんのり赤みを帯びた顔をしていた。
浴場を出てエレベーターに乗り、地上へと戻る。京都タワーの外に出て地下鉄の駅へ向かおうとした時、ふたたびiPhoneが鳴った。妹からだ。
「...もしもし?」
「いっけいくん?あんたやったねぇ!」
「?」
「●●から、補欠繰り上がったって電話きたよ!」
...え?
耳を疑い、時が止まる。
●●。それは、僕の地元にある大学の名前だったのだ。
(つづく)