人生の節目、あるいはコンマについて6
まだ時刻は午前9時を回ったばかりだった。XXさんとのランチの約束までには、まだたっぷり時間がある。
僕はiPhoneの着信履歴を確認し、●●大学の番号に電話をかけた。
「...もしもし、●●大学です」
少しか細い、若い男の声が聞こえてくる。僕は自身の名前と、補欠合格の繰り上げ連絡をもらった者である旨を伝えた。呼吸が少し浅い。
「あぁ...ご連絡ありがとうございます。いかがされますか?」
男は淡々と、声色を変えることもなく結論を求めてきた。小さく抑制された声からは、控えめにいって少しうんざりした様子さえ伝わってくる。実際、この男にしてみれば連日続くやり取りに、十分うんざりしていたのだろう。おそらく数多くの受験生に断られ断られ、だからこそ僕にまで順番が回ってきたのだ。お疲れ様です。
僕はできるだけ丁寧に、結論を出すまでにもう少し時間をもらえないかと尋ねた。たとえば夕方6時頃までに、再度連絡をさせてもらえないか、と。
「それは無理です」
僕が言い終えたかどうかも怪しいタイミングで、男は申し出を却下する。声は相変わらず小さく抑えられている。あまりに間髪入れず断られたものだから、僕は少し面食らってしまった。もはや強気とも受け取れない、こちらの事情を斟酌する思考回路がそもそも用意されていないロボットのようだ。
僕は、受話器の向こうのデスクに置かれた長い補欠リストを思い浮かべた。男はその名簿にバツを付けたりマルを付けたりしながら、徐々に近づく入学式を横目に新入生の枠を満たす仕事を任されている。僕が断りを入れれば、「大山一慶」と書かれた枠の横にバツを付けて(あるいは名前そのものを横線で消してしまって)、次の対象者に電話をかけるまでのことだ。仮に僕の答えが逆であっても、付ける記号がマルに変わるだけのことだった(彼がかける電話はひとつ減ることになるが)。
けれど、保留はいけない。一番だめだ。彼の仕事そのものが進まなくなってしまうどころか、その進捗のペースを受験生側(今でいうと僕)に委ねてしまうことになる。「あなたに、僕の仕事を滞らせはしない。」そんなメッセージが、空の耳に届いてくるようだった。
「それでは、3時で。3時までに掛け直します」
すこし困ったそぶりを見せながらも、僕はそう言い切った。こちらとしても、今し方(がた)起こった事件に頭はぐちゃぐちゃなのだ。このまま相手の都合を提示され、はいはいと飲み込むわけにはいかない。
「はぁ...わかりました、ではお待ちしています」
男はしぶしぶと、それでも最後まで声の調子を変えることなく受け応えると、そこで電話は終わった。
「さぁ、どうしようか」
やっと大きく息を置き、僕はあらためて小さく呟いた。