人生の節目、あるいはコンマについて3
やや熱めに調整された湯の中に、僕は身体を胸まで浸す。しばらくして身体が「もう無理だ」と感じると、僕は腰を上げ、そのまま浴場の縁(ふち)に座る。そして身体が冷めてくると、僕はやはり再び湯船へと身を沈めた。
次々と人がやってきては風呂に入り、やがて脱衣所へと戻っていく中で、僕はこの所作をただ繰り返す。
予備校仲間によるあの日の打ち上げは、夜遅くまでつづいた。午前4時過ぎに店の閉店が近づくと、「新宿のカラオケ店へ移動しよう」と誰かが云う。8名のメンバーは店を出ると、大通りで息を白くしながらタクシーを待った。
僕はそこで皆から離れ、帰宅することを決める。それまでの時間に満足していたし、眠気もかなり強まっていた。真っ暗な寒空の下、しばらくしてやってきた2台のタクシーに皆が次々と乗り込んでゆく。
「九州でもがんばってください」「ありがとう、また」
メンバーそれぞれと握手し、簡単なやりとりを交わす。タクシーの扉が閉まってしまうと、僕は彼らが完全に見えなくなるまでその姿を追った。そしてひとり市ヶ谷の駅へと向かい、身を縮ませながら始発の電車を待った。
あいかわらず浴場の噴水を眺め、頭ものぼせ始めていた僕は、あの日最後に言葉を交わした女の子がふと頭に浮かぶ。
彼女と僕の合格は、予備校からするとおそらくサプライズと呼ばれるような部類の出来事だったと思う。そんなところで、僕は彼女にどこか勝手な親近感があった。
ただひとつ僕と違っていたのは、彼女は春から地元の大学に通うということ。僕らはそれまで、互いに似たり寄ったりな(どちらかというと頼りない)学力で過ごしてきた。けれど結果として、彼女は地元に残り、僕は九州に向かう。どちらも、それが互いに許された唯一の選択だった。
こうやって人生は動いているのかもしれない、とあらためて思った。何か些細なことが、それが努力であったり運であったり相性であったり、何であるにせよ実体の掴めないその何か些細な違いというものが、大きな節目となって人生の向く方角をがらりと変えてしまう。その定められた方向がいいものか果たして悪いものかは、誰にもわからない。僕らにただできることといえば、その都度に配り直されたカードを使い、ひきつづきゲームを続けることだけだ。
僕が九州に行くことを決めてからは、この差し出されたカードをいかに使い生きていくのかということだけに心を注いできたのだった。自分に配られることのなかったカードについてあれこれ考えることも、隣のあの子に渡されたカードについて思い煩(わずら)い嘆くことも、きっと自身の人生にはどんな意味をも与えてくれないだろう。そんなことをこの1ヶ月のあいだに、何度も考えたはずだった。
僕はあらためて、これから始まる生活について思いを巡らせる。初めての遠方での暮らし。そこには逢いに行きたい人がいて、訪れてみたい土地があった。どんな出逢いが待っているだろう?どんな生活が待っているだろう。在学の6年間といわず、人生の成り行きによっては骨を埋める覚悟すら抱き、僕は地元を出てきたのだ。
これで最後。
こんな後ろ向きの感情は、京都地下深くのお湯の中に、すべて溶かしてしまおう。
僕は浴場から腰を上げると、すっかり赤くなった身体を拭き脱衣所へと戻った。
(つづく)