保育園卒園がなぜこんなに寂しいのか
息子が3月で保育園を卒園してしまう。
いや、成長はおめでたい、喜ばしいことだとはわかっている。
しかし、寂しい。寂しいのだ。
あまりに寂しいから、あまり考えないようにしている。
些細な瞬間が愛おしくて、すぐ一人涙ぐむ毎日を送っている今日この頃。
めっちゃセンチメンタル野郎。
一体、何がこんなに寂しいのか、一旦冷静に分析してみる。
〇乳幼児に触れる機会が激減する
私は元々子どもが好きだ。
こんなに面白くて興味深くて可愛い生き物は他にはいないんじゃないかと思っている(柴犬も可愛いけど)。特に乳幼児がたまらない。
赤子なんてものは、人間というより、赤ちゃんという生物。
なんで~こんなに可愛いのかよ~。
動きとかリアクションとかおもしろすぎる。たまらん。
我が子が通ってきた保育園は、縦割り保育なので、お迎えに行くとあらゆる年代の子たちを拝見することができる。
1歳前後の子や2歳くらいの子が、私の姿を捉えて近づいてきてくれるのが最高。いつも「可愛い~♡やっほ~」などと言いながら、タッチをしたりしている。
息子も小さい子が好きなので2人で「〇〇くんのほっぺたたまらん。可愛すぎる」「わかる~今日お膝に乗ってきてくれたで~」「え~良いな~!」など赤子トークで盛り上がっている。
こんな時間がなくなってしまうのが、寂しい。
〇息子との自転車二人乗りタイムが愛おしい
小学校に入ると送迎がなくなる。一人で行って、一人で帰ってくる。
送り迎えがなくなるので時間的な余裕はできる。
しかし、私は息子を後ろに乗せて、おしゃべりをしながら自転車に乗るのが好きなのだ。時には一緒に歌ったり。自転車に乗らず走る息子を追いかけたり。
朝は余裕なんてなくて「急げ急げ」と常小走りだし、帰りは仕事が終わって息つく間もなく保育園に向かって疲れてはいるのだが、大切な時間だったなと思う。
そして、それに付随するのだが、息子はいつも登園が遅めで9時くらい。
小学校になったら、出発がもっともっと早くなるので、朝ご飯をゆったり一緒に食べる時間も少なくなってしまうだろう。
あ~~寂しい。こんちくしょう。
〇シンプルに大好きだったな、という感謝の気持ち
冷静に分析すると書いたが、書いているうちに理由どうこうではなく、そんなん寂しいに決まってる!という気持ちになってきた。
だって、保育園が大好きだったから。
娘の時から考えると8年以上。ずっと通い続けてきて、初めこそ心配もあったけど、今は最早何の不安もなく働けている。それは全部保育園のおかげだ。
何か心配事がある時も、心強いアドバイスでど~ん!と背中を押してくれた園長先生。いつも温かい眼差しで見守ってくださっていた先生方には、感謝の気持ちしかない。
たくさんの成長見せてもらい、感動をたくさんたくさんもらってきた。
当たり前のように通い続けていた場所。
保護者の人たちも良い意味でちゃんと大人で愉快な人が多く、大好きな保育園だった。
分析なんてどうでも良い(え)。止めにする。
そりゃ寂しいに決まってる。
ここ最近、卒園・入学の準備に娘の陸上大会や、遊びもキッザニアに行ってみたり、合間を無理やり見つけて副業をしてみたりと、とにかく毎日が目まぐるしい。めっちゃ見に行きたいハイキューの映画にも、まだ行けてないくらい(泣)。noteに来る時間もめっきり減ってしまった。
忙しくてあまり深く考えないようにしているが、泣いても笑っても保育園生活は後1ヵ月。
園に対して大好きだったな、とこんなに思えることに感謝しながら、保育園児の息子を後少し堪能したいと思う。
子どもの成長って、本当あっという間ですね。