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お弁当を忘れる度に、届けてくれた母の愛

私の中学・高校は給食がなく、基本的にお弁当生活であった。
学生時代、常にお腹が空いていた私のお弁当箱は大きめ。いつも母親が美味しいお弁当を作ってくれていた。私は母の弁当が大好きだった。

(大好きだからこそ、早弁もしていた)


そんな母親が作ってくれたお弁当を、持っていくのを忘れて家に置いたまま登校してしまうことがままあった私。

「お弁当持ってきや~」
「うん、わかってる~」

そして忘れる。別に忘れ物が多かった訳ではないと思うのだが、なぜかお弁当だけはよく忘れた。

中学時代は登校して少ししたら、お弁当がないことに気づく。「げげ!また忘れた……」と、うなだれる私。しかし、そこまで慌てることはなかった。

なぜなら、母がいつも忘れたお弁当を下駄箱に置いておいてくれていたから。

下駄箱に行けば、お弁当届けてくれているはず、という絶対的な安心感があった。いそいそと下駄箱に行くと、下駄箱の上にお弁当袋がそっと置いてあるのだ。

その度、「ああ、良かった~お母さんまた持ってきてくれたんやな……。ありがたい。今度こそ忘れないでおかないとな」と少し反省。

そして、また忘れる。安心感に包まれているので、なかなか改善しない。当時は携帯も何も持っていなかったので、連絡手段はなく、しかし絶対持ってきてくれてるはずという確信を持っていたように思う。

高校時代は電車通学だった。そして引き続き、たまにお弁当を忘れる私。
最寄り駅はホームと道が隣接している駅だったので、忘れたことに気づき追いかけてきてくれた母親が、ホーム越しに「お弁当~!」と渡してきてくれたことも数知れず。駅のホームから、薄ら笑いでお弁当を受け取る、ダメ娘。当時の私に、ほんましっかりしろよと言いたい。

本当すごいなと思うのが、追いかけて渡してくれる母親がいつも笑顔だったこと。「しゃ~ないな~」という感じで、いつも笑って届けてくれていた。これに関して、怒られた記憶がないのだ。


もし、私の娘が同じことをしたらどうだろう?

1回目はしゃーないなぁと笑って届けるかもしれない。しかし、2回目はもう笑う自信がない。3回目になると、鬼瓦決定だ。

私は仕事をしているので、届けるとなると遅刻する可能性が高いということもある。母親もパートで仕事をしていたが、毎日ではなかったし出勤時間まで少し余裕があったのかもしれない。それにしても、すごい。よく笑って届けてくれていたよなぁ。


「学生の時、お弁当忘れて怒られた記憶があんまりないんやけど、怒ってたっけ?」
と、少し前に母親に聞いてみた。

「いや~怒ってなかったんちゃうかな。それよりもお腹空いたら可哀想と思って届けてたなぁ」

そう答えてくれた母。ああ、なんてありがたい。

忘れ物に気づいても自分できちんと対応させた方が、後々子どものためになる。なんてことをよく聞くし、私もそうだと思う。
しかし、お弁当を忘れ続けて母親にフォローされ続けた私が今、社会生活ができていないかというとそんなことはない。忘れ物も特に多くない。

何でもかんでも手を出さず、自分で気づかせることは成長において欠かせない。けれども、自分には絶対的な味方がいる、という安心感で包んであげることも同じくらい、いやそれ以上に大切なんだろうなぁなんてことを考える。

自分が親になることで気づく、母親の偉大さ。大人になって自分一人で色々できるようになっている気になっているが、まだまだかなわない。

私も娘がお弁当を忘れることがあっても、鬼瓦にならず、笑って届けてあげられるように。己の器をよいしょよいしょと広げておきたいなぁと思う。

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