「僕の生き様」という物語
こんにちは!伊織です!
いきなりですが、皆様はどんな人生を歩みたいでしょうか?
・幸せな家庭を築いて、穏やかに暮らしたい
・仕事で結果を出して尊敬される人生を歩みたい
・好きな人と好きなことをして生きていきたい
いろんな考えがあると思います。
どんな生き方でも良いと思いますし、
それぞれの大事な価値観があると思いますから10人いたら10通りの生き方があって当然です。
その中で僕がどう生きていきたいのか。
今回のテーマはそこに絞って話したいと思います。
この記事を書こうと思ったのは、内定先の企業でキャリアに関する研修があり、改めて自身のビジョンを考える時間があったからです。
ストレングスファインダーでは一番初めに未来志向が来るぐらいなので、よく自身のビジョンであったりゴールを考えることはあるのですが、今回初めて自分の明確な夢が具体的に考えられました。
中にはこの夢を聞いた時に、「こいつ何言ってんだよ」とか「無理だよ」と思う方もいるかもしれませんが僕には夢を叶えている未来が見えています。
イメージできるんです。
理由は分かりません。
ですが本当に根拠のない自信があるのです。
そんな僕の夢を聞いてもらいたいです。
そして少しでも皆さんに良い影響を与えられたらうれしいです。
僕の夢
✔講演家として5000名を超える人の前で生き方やマインドを発信する
✔自分の生き様を映した映画を製作してYouTubeにアップし100万回再生を突破する
これが僕が叶えたい、いや叶えなければいけない夢です。
それぞれを詳しく書いていくことにします。
講演家としての夢
「講演家になりたいです」
これは高校時代の恩師と話したことのある事です。
この言葉を今回のビジョンを考えているときに思い出しました。
もともと当たり前の生き方が嫌いなのか、変な自信を持ち、どこかナルシスト要素のある僕は、恩師からも「伊織は普通の生き方は合わないだろうな」と言われていました。
これは僕自身もそう感じていて、いつかは自分のクリエイティブ要素や自分にしかないもので勝負したいと思っていました。
(フリーの照明技師兼カメラマンである父親の血が流れている影響でしょうか)
僕がマーケティング会社に入ったのもその夢のための一歩になっています。
講演家になるためにはまず認知をしてもらわなければいけません。
僕という存在を世の中に知ってもらうのです。
そして僕の思いに共感してもらう。
または僕の言葉で聞いてくれた人に良い影響を与える。
そう考えたときに、モノを売る背景に必ずあるマーケティングは必須になると思いました。
その学びを最短で得られる会社に入社できたのは僕の人生において良い一歩を踏み出せたと思っています。
もちろん会社を踏み台にしようなんては思っていませんし、雇ってもらう以上所属しているうちは全力で結果を求めて突き進みたいと思います。
そのうえで講演家になるために勉強を重ねたいと思っています。
同時に僕が講演家になりたい理由もお話しします。
それは…
格好良いからです。
これはふざけているわけでも何でもありません。
何十人、何百人という人の前で自分の言葉を伝え、聞いている人の人生に影響を与える。
こんなに格好良い生き方はないと思います。
僕は誰かに影響を与えられる人間になりたいんです。
僕の言葉で誰かを動かす。
僕の行動で誰かをやる気にさせる。
僕の生き様で誰かを勇気づける。
そんな人間に本気でなりたいと思っています。
それと同時に誰もがこのように大きな夢を宣言できる世の中にしたいとも思っています。
僕は夢を追いかける人を批判する風潮が大嫌いです。
どんな人に対してでもそれだけは許せません。
夢を語って何が悪いのでしょうか。
夢に向かって進んでいく何がいけないのでしょうか。
夢がかなわなかったから恥ずかしい?
そんな事全くありません。
そこまでに歩んで努力した道のり、そのプロセスこそが美しいのです。
僕はそれを伝えられる講演家でありたいです。
ロールモデルとしている方でいうと株式会社GOAL-Bの山宮健太朗さんです。
とにかく生き方が格好良い。
講演家になるという目標も達成して、全力で夢に向かって走り続けている。
そんな姿を見て心を動かされました。
心から尊敬しています。
僕はここから挑戦していくしかない人間。
山宮さんのような影響力もまだまだありませんし、実績もありません。
何者でもないのが現実です。
でも人は誰もが望んだどんな状態にでもなれるはずです。
何者でもないからこそ何者にでもなれると思います。
チャンスです。大チャンスです。
僕がこれからの人生で挑戦を重ねて、勝手に山宮さんをライバル視し、、いつか超えてやろうと思っています。
次にお話しするのは僕の過去のお話。
自分のモチベーションとなったエピソードを振り返って話していきます。
両親への愛。
僕は両親が大好きです。
僕の人生は両親なくして語れないというくらいです。
僕は幼稚園の年長から野球をしていてずっとプロ野球選手になることを夢としていました。
日付が変わるまで父親と練習をしていたり、朝早くからお弁当を作ってくれていたり。
多分一般的なサポートとはレベルの違う時間でした。
高校時代は特にそうです。
僕の高校は練習時間が長く、始発で学校に行って帰り着くのは24時過ぎという生活が2年半続いていました。
そんな中で母親は絶対に僕が帰ってくるまでは寝ていませんでしたし、朝も僕より早く起きていました。
仕事もしているので寝ている時間は3時間とか4時間とかだったのではないかなと思います。
そんな中で文句ひとつ言わずに毎日行ってらっしゃいとお帰りを言ってくれた母親には頭が上がりません。
父親も同じです。
先ほども少しだけ触れましたが、父親フリーで照明技師とカメラマンをやっています。
その中で僕の野球の試合があるときは、何とか予定をずらしてでも試合の映像を撮りに来てくれました。
雨の中でもです。
ずぶぬれになりながらでもカメラだけは濡らさないように、僕のピッチングを撮っているのです。
そして帰ってからは試合の反省会。
僕以上に僕の不調の原因を見抜いているのではないかというくらいでした。
しかしそんな両親に迷惑をかけてしまったのが高2の夏です。
ここが人生のターニングポイントの1つでもありましたが、僕の人生を語るうえでは絶対に切り離すことができない出来事です。
僕は1年の秋からベンチに入り、2年の春には試合でも投げさせてもらっていました。
その中で迎えた2年の夏です。
春の大会でとある私立高校に負けてしまった僕らは夏の大会をノーシードで迎えていました。
そして一回戦の相手は神奈川でも強豪といわれている高校。
僕の高校も甲子園出場経験があったり、メジャーリーガーも輩出しているので再注目の1回戦カードともいわれていました。
そんな中迎えた試合はやはり超接戦となります。
8回の裏が終わって1点差で負けている状況。
僕らは先行だったので9回の表で点が取れなかったら負けでした。
そして2アウトと追い込まれて、ここまでかと思った人もいたかもしれませんがここから先輩方が意地を見せます。
なんとその状況から逆転したのです。
負けたとは一切思っていませんでしたが、正直驚きを通り越して感動していました。
そして先発の方が代打を出されていたので9回裏のマウンドには僕が上がります。
この時の正直な気持ちを記します。
情けないですが、「怖い」でした。
相手の応援。先輩たちの意地。先輩の夏を背負ったプレッシャー。
全てが僕の方にのしかかり足はがくがくに震えていました。
その結果…
サヨナラ3ランホームランを打たれて先輩の夏を終わらせてしまいました。
僕は何が起きたか頭の整理もつかず、ただ何もできないまま先輩たち60名の引退を決めてしまったのです。
ここで話は両親に戻りますが、この時両親は3年生のご両親や部活動の顧問に泣きながら謝りに言っていたそうです。
後から恩師にこの話を聞いて自分がしてしまったことの大きさを改めて感じました。
それでも両親は僕に対して怒ることは絶対にありませんでした。
「絶対来年の結果で恩返しするんだぞ」
そう言って次の日も練習へ送り出してくれました。
ここからの僕は苦労の連続でした。
夏の大会後から打たれた変化球を投げるのが怖くなってしまい、いわゆるイップス状態になってしまったり。
どれだけ遅く帰ってきても、寝る前になると打たれた光景を思い出して寝られなくなったり。
人生で初めて野球と離れたいと思ったこともありました。
それでも両親は変わらず僕を支えてくれました。
お前が最後の年頑張れるならと新しいトレーニング用品を買ってくれたり、僕が食べやすいものを作ってくれたり。
本当に両親のサポートなくして僕のメンタルは持たなかったと思います。
練習量だけには自信があった僕ですが、その裏付けには両親の支えがあったのです。
そして3年の夏。甲子園に行けずに夏が終わりました。
先輩に対する申し訳ない気持ちもありましたが、1番は両親に謝りたくなりました。
甲子園に連れていきたかった。
何とか恩返しがしたかった。
家について謝ろうと思っていたのですが、帰ってきて言われた言葉は
「有難う。最後まで頑張ってくれて有難う。」
抱きしめながらそう言ってくれました。
こんな両親のもとに生まれた僕は幸せです。
それと同時に両親には人生を通じて絶対に恩返しをしなければいけません。
返しても返しても返しきれないかもしれませんが、一生をかけて恩返ししていきたいと思います。
そのためにも僕の生きた証を物語にしたい。
これが次のお話です。
自分の生き様を映した物語のお話
自分の生き様を映した物語?
馬鹿なこと言ってるなと思った方も多いかもしれません。
ですがこれが僕の本当の気持ちです。
そして両親への恩返しの1つです。
父親は仕事の関係上、映画を見ることが多いです。
自宅でみたり、父親と映画館に行くこともありました。
そこでそんな父親に向けた物語。
それと同時に誰かの人生に影響を与える物語を作りたいと思っています。
これは山宮さんも仰っていて、これはすごいと思ったことも1つの理由ではありますが単純に自分の生きた証を残したいと思ったのも事実です。
それと同時に両親にその物語を見てもらって、僕の挑戦や生き様を見てこの子を産んでよかったと感じてもらいたいと思っています。
またこれをYouTubeに挙げて100万回再生を超えたいと思っています。
実際、これを行う時にYouTubeがベストなのかは分からないので時代に合わせた戦略になるとは思いますが、最も多くの人の目に届く場所に載せます。
こうして多くの人の人生に影響を与え、確実に良い方向に導けるような。
そんな物語を作っていきたいと思います。
ここまでで皆さんこう思っているのではないでしょうか?
「そんなすごいことしている奴じゃないでしょ」
それに対するアンサーを次に書こうと思います。
これからの僕に必要なこと
講演家になる。
自分の生き様を映した物語を作る。
この夢は一般的に考えたら馬鹿げていることかもしれません。
何言ってるんだと思われたり、そんな実績がある人間ではないだろうと思われると思います。
そんな僕が今後必要になること。
それは行動です。
圧倒的な行動量です。
僕は朝活が大好きな人間なので毎朝5時~5時半に起きています。
しかしそれだけではよくいる人です。
これからの僕に求められるのは常人を超えた圧倒的な挑戦と行動。
これだけは譲れない部分になると思います。
格好良いキラキラした人の裏には泥臭い努力がある。
これは有名な話ですが、僕はここまでの誇れる実績がない分これからの人生で作っていかなければいけません。
そのためには自己投資を惜しまずにとにかくやりたいことは全部やる。
それを意識していきたいと思います。
しかしここで一つの問題があります。
お金が必要なんです。
だからこそ新卒入社ではいる会社でも結果を出さなければいけません。
全てを僕のゴールにコミットさせて行動しまくりたいと思います。
さらにこれに大事なのは絶対的な自信を持ち続けることです。
できないと一瞬でも思ったら負けです。
どんな状況になってもできると信じ続ける。
どんなに苦しくても量にこだわる。
絶対にやってやります。
しないと僕は死んでも死にきれません。
親が生んでくれたこの命を、親がこれだけ支えてくれたこの人生を。
無駄にするなんて絶対にできません。
後はやるだけです。
見ていてください。
僕は格好良い生き方で格好良い人間になってやります。
最後に
本日はここまで読んでくださり有難うございました。
キングコング西野さんが作った映画「えんとつ町のプぺル」のメッセージでもありました夢を語れば叩かれる今の世の中。
変えたいなと思いますし、夢は叶うんだという事を証明したいです。
自分は能力もスキルも全くない、いわゆる底辺にいるような人間かもしれません。
しかし話した人を熱くすること。
影響を与えることにはちょっぴりだけ自信があります。
この得意な部分を生かす以外はありません。
後はやるのみ。
行動あるのみ。
自分への戒めとしての投稿でもありました。
僕の夢追い物語を見守ってもらえると嬉しいです。