二次障害発症の話③
中学3年生の1月末に高校受験の願書を提出したのをうっかり忘れていた2月下旬…。
大人しくしていたことが功を奏すんか、
没収された本が戻ってきた頃だった。ふと目をやると、
「平成○年度 〇〇県高校入試 過去問題集」
という文字がバーンっと入って来た。
やっべー!うっかり忘れてた!!!!(*_*;
精神科病院のノホホーンとした生活に馴染み始めて、
高校入試のことなんかゴッソリ頭から抜け落ちていた。
こんな高校受験生居るのかな?…(´-﹏-`;)
中学校…どころか、小学生からまともに勉強して来なかった高校受験生。
数学…算数なんて掛け算九九・分数でおさらばしていた。
国語は年齢相当かな
理科は中学の教科書でパラパラ見た程度で元素記号を暇つぶしに覚えた程度
社会…なーんも知りません。宗教戦争の成れの果てがこれで、それでも宗教が好きな人が一定数居るこれ以上でもあればこれ以下でもないとバッサリ切り落としてしまったのでさっぱり分からない。
「宗教戦争には興味がない」がすごく強く出た。その瞬間社会科は私の頭の中で即デリートされた。
英語…、自分の名前ですら大恥かくようなミスをやらかしたのでトラウマになり何もやってない。が、幼児期はネイティブスピーカーの子たちと一緒に過ごすことは多くてリスニングだけは得意。筆記は無理ゲー
3月上旬の高校入試に間に合わせるには、大慌てで小学校からさかのぼって勉強する必要があった。が時間がなさすぎる
5教科のウィークポーントを自分なりに絞り、取っ掛かりは英語のリスニングテストの練習を始めた・高校受験生が10日前に慌てて受験対策を始めるなんて馬鹿げてると思いながら持ち前の過集中で、最低ラインの点数だけを目指した。
すると何故かうまく行ったのである。過集中に感謝したのは始めてだ。
そんな感じで、高校受験を迎える日になった。
病院に外出届を出して児童相談所職員同伴で高校受験に行った。
皮肉にも精神科病院に入院して以来始めての外出先が高校受験試験会場とは
受験日の試験の自己採点の結果は、結果は242点
ドタバタやった割にはまぁまぁ良い出来た点数だと追う。
後に高校を中退するのだが中退後、親しくしていた先生から250点程度で成績順で言えばかなりいい方だったらしい。上から2番目とか言ってたかな。
最初は普通の教室で受験したが、後半はしんどくなり別室受験になった。
面接も結局、高校側が調整してくれて一番最初のトップバッターになってしまった。(ちょっと余計なお世話だなぁ…とか思ったり)
あいにく、その日は雨で、面接時間ギリギリまで下で待機してた上にいきなり最初に面接試験をしましょうと高校側から言われたので正直驚いた。
予定変更が苦手なので結構、タジタジになってた。
そして、面接試験の会場に向かう際に泥沼に思いっきり足を突っ込んだ。相変わらずの注意欠陥。
お気に入りの靴が泥だらけになった。メタ糞ショックで、面接試験の緊張がきれいに消え飛んだ。
のちに、面接官の先生に「お喋りなおチビちゃん」と呼ばれた。
そんなに喋ったつもりなかったんだけど客観的にはすごく喋っていたのかも知れない。
どうなることやらとは思いながら、再び外出届で合格発表を見に行ったら、
なんと合格であった。
精神科病院入院中で人生落ちるところまで落ちたのに、高校は受かるのか。と嬉しいような皮肉なのかと複雑な気分になった。
高校受験に合格したおかげで、退院予定が早まった。3月31日に退院が決まった。
退院と同時に児童相談所からの一時保護が外れたので、帰宅復帰することになった。(嫌で仕方なかったが高校のことを考えると仕方ない)
こうして、第1回目の精神科病院入院が終わった。
おわり