【映画感想文】PLAN75
早川千絵さんが監督を務め、カンヌ国際映画祭にて表彰を受けた「PLAN 75」を映画館で観てきました。
「誤読の自由」を謳歌すべく、本作を観て私が感じたことや私がメッセージとして受け取ったことを、記事にしてみます。
◆あらすじとか
75歳以上の人が自ら死ぬことを選択できる制度「PLAN 75」。そんな制度が施行された日本で葛藤する人の姿を複数の登場人物の観点から描いた映画です。
私は当初、この制度の是非を巡って対立し、嘆き悲しみ、怒り、罵倒する、、、そんな人々の姿が描かれるのかと思い、不安に感じていました。
そういった、人間の負の感情が噴き出しているようなシーンは個人的に苦手だったからです。
しかし、実際見てみると、そのようなシーンは皆無でした。
映画自体はとても静かに進行していきます。
なので、私と同じような不安を感じている方でも、そこについては安心して観ていただけるかと思います。
◆印象に残ったシーン~その①~
主人公のミチは75歳を超え、PLAN75を利用して死ぬことができる立場にあり、ミチは映画の冒頭で実際にPLAN75に申し込みます。
ただ、実際に死ぬ日が最初から決まっているわけではないようで、ミチはそれまでと変わらず宿泊施設の客室清掃員として仕事を続けます。
しかしある日、一緒に客室清掃員として働いていた同じく高齢の女性が清掃業務中に倒れてしまい、そこからミチの生活が大きく変わってしまいます。
万が一にも高齢な従業員が業務中に亡くなることがあれば困るという宿泊施設側の都合で、ミチは解雇されてしまうのです。
日々の生活のために次の仕事を探そうとするも、高齢なミチを雇ってくれるところはありません。住む場所を探すにも、仕事のないミチを受け入れてくれる場所はありません。
結局ミチは交通誘導員として深夜の工事現場で働くのですが、高齢のミチにとって、そんな体力仕事は長続きしませんでした。
困り果てたミチは、食べ物をもらおうと思っていたのかはわかりませんが、ある夜、ホームレス向けの炊き出しを行っている場所の傍のベンチに腰掛けます。
すると、食事を提供していた一人が「よかったらどうぞ」と言って、近くのベンチに座っていたミチに食事を手渡すのです。
ミチは、その食べ物を口に運ぼうとしたのですが、ふとその手がとまり、食べ物をじっと見つめる・・・そしてそのままシーンが切り替わったのです。
・・・この「手渡された食事をじっと見つめる」シーンが、個人的にはとても印象的でした。というのも、このシーンは、ミチの心の葛藤を描いた瞬間だったと思うからです。
ミチにとって、毎日働き、そのお金で自分の衣食住をまかなうということは、ミチ自身が自尊心を持つ上で非常に重要なことでした。
これは、ミチが部屋を探す中で不動産会社の社員から「生活保護を受ける気はないのか?」と問われた際に、「もうちょっとがんばれると思う」と答えたシーンからもわかります。
そのため、直接的には描かれていませんが、炊き出しに並ぶ人たちはミチにとって軽蔑の対象であったはずです。
しかし、ふとしたことがきっかけで、自分も彼らと同じように衣食住に困る立場に陥ってしまった。
しかも、そばのベンチにいただけで炊き出しの食事を手渡されたということは、他人からは自分が彼らと同じであるように見えたということ。
さらに食事を口にしてしまえば、その事実を自分が認めることになってしまう。そんなミチの心の葛藤が描かれたシーンだと、私は感じました。
ミチは結局、あの食事に口をつけたのでしょうか・・・。
◆印象に残ったシーン~その②~
衣食住に困り果てたミチに、PLAN75の人間から電話がかかってきます。
ミチの死ぬ日が決まったのです。これによって、ミチの衣食住の不安はひとまず解消されました。
さて、この制度の申込者には担当のカウンセラーがつきます。カウンセラーと電話越しに話すことで、申込者は死ぬまでの間の不安や恐怖を和らげます。
ミチもカウンセラーと会話を重ねるのですが、そのうちに親近感が生まれたのか、カウンセラーに「直接会えないか」とお願いし、カウンセラーはそれに応じます。
2人が会ったのはミチの思い出の場であるボウリング場。同じ場所で同じ時間を過ごすことで、カウンセラーにとっても、ミチは電話越しに話すだけのお客様ではなくなります。
ミチが死ぬ日が翌日に迫り、カウンセラーは最後の電話で別れの挨拶をします。その後、気持ちを鎮めるためか、カウンセラーは職場の食堂の椅子に腰掛け、ミチに思いを巡らせます。
するとその背後で、新しくカウンセラーとして働く新人にベテラン社員が業務説明をしている様子が映ります。
「対象者が不安を感じるのは当然のこと」
「そんな対象者の不安を和らげるために私たちがいる」
「でも、対象者が思いとどまらないようにうまく誘導するのが大事な仕事」
そんなことを説明しているベテラン社員の声が段々と遠くなっていき、最後には、それまで横を向いていたカウンセラーが急にカメラを睨み付けます。
その表情は「この女優さん、こんな顔してたっけ?」と思ってしまうほど、それまでの優しい表情からは全く想像できないような険しい表情でした。
・・・この睨み付けられるシーンが、印象に残ったもう一つのシーンです。物語の時系列を踏まえて"その②"としていますが、印象の強さとしてはこちらのシーンの方が強かったです。
というのも、私はこの眼差しに、何か強いメッセージがあると感じたからです。
◆本作から受け取ったメッセージ
本作のメッセージがなんだったのか。
監督は何を描きたかったのか。
この答えが、作中に明確な形で描かれることはありませんでした。
しかし、カウンセラーがカメラを睨みつけたときに私が感じたメッセージは「見ないふりをするんじゃない」でした。
この映画はフィクションですが、PLAN75という架空の制度ができる背景にある社会問題は、現実の世界にも存在しています。
その問題を端的に述べるなら
「役に立つか立たないかが、すごく命の基準に関しても適用され始めている」(※)
ということです。
働けない老人は、社会にとって役に立たない存在だから、命の価値はないのか。
障害や病気で働けない人間は、社会にとって役に立たないから、命の価値はないのか。
そして、価値のない命は、消えるべきなのか。
ミチは最後、死ぬ直前になって死ぬことを拒んでPLA75の施設から逃げ出しますが、そこには、全ての人が理性の奥にもつ「生きたい」という本能が見えた気がしました。
役に立つか立たないかという基準によって、ただ生きるということさえ許してくれないような今の社会の構造的な問題から目を逸らしてはいけない。
私はそんなメッセージを、本作から受けとりました。
7月10日に参議院選挙が迫っています。
短い期間ではありますが、自分なりに今の日本社会が良い方向に進むために必要なことを真剣に考えた上で、責任ある行動をとりたいと思います。
※備考※
「役に立つか立たないかが、すごく命の基準に関しても適用され始めている」
この言葉は、6月29日に放送されたクローズアップ現代で、映画監督の是枝裕和さんが述べていた言葉をお借りしています。
「PLAN 75」と是枝監督に直接的な関係はないはずですが、この言葉は何か私の中で「PLAN 75」とすんなりとつながりました。
ちょっとした縁を感じておりますので、是枝監督の新作である「ベイビー・ブローカー」や、過去の作品である「万引き家族」などを観てみたいと思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?