ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第47章
落合が32歳でたどり着いていた『負けない野球』
「投手を中心とした守りの野球」
言わずと知れた、落合が目指した野球だ。中日の監督に就任したとき、そう宣言した。
そして、落合は、実際にそれを8年間貫いて、圧倒的な実績を残した。
球史に残る大打者だった落合がいつからそんな考えを持つに至ったか。
私は、おそらく現役時代の晩年か、引退後なのではないかと想像していた。
しかし、最近、1986年の日本シリーズ2戦目の後、テレビ朝日『ニュースステーション』に出演していた落合の映像を見た。
そのときのニュースキャスター久米宏と落合の会話は、次のとおりである。
私は、このやりとりを聞いて驚かされた。
当時、落合は、ロッテで3度目の三冠王を獲得したばかり。まだ32歳である。
なのに、話している内容は、落合が50代で中日の監督をしながら話していた内容と寸分も狂いがなかったからである。
落合は、ロッテ時代から既に、自らがどれだけ打ちまくろうが、優勝には直結せず、優勝するためには投手、守備、走塁の方が大事だと悟っていたのだ。
ゆえに落合は、中日や巨人で内野を守りながら勝負どころで、まるで監督やコーチのようにバッテリーにいろんなアドバイスを送っていたのだろう。
『勝つ野球』ではなく『負けない野球』をするために。
落合は、中日監督生活の後半、2009年に記者から「理想の野球」を聞かれて、こう答えている。
理想の野球は存在しない。1アウトも取られずに打ち続けることは不可能だから。あくまで想像上でしか成立しえないというわけだ。
しかし、落合の理想の中で、半分だけは容易に実現可能だ。
つまり1回表を3人で終わらせること。
しかも、それを9回表まで続けることも現実にできなくはない。まさに『負けない野球』だ。
野球は、よく『点取りゲーム』と呼ばれる。1点でも多く取ったチームが勝つからだ。
しかし、監督となった落合は、その常識を覆し、1点でも失点を少なくすることに全精力を注いだ。得点を失点が上回らなければ、絶対に負けないからだ。
最悪0-0の引き分けでもいい。そんな『負けない野球』を落合は、8年間貫き通した。
32歳で選手として到達していた境地をそのまま50歳で監督として具現化し、監督1年目も最終8年目もリーグ優勝を果たした落合。
きっと落合のような監督は、当分現れないだろう。