ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第51章
勝つためにプロ野球の華を犠牲にした落合
落合は、就任1年目から勝つために様々な戦略を練り、他球団が思いつかないような作戦を実行に移した。
Numberの雑誌『なぜ今、読まれているのか 似て非なる名将 落合博満と野村克也。』でも、それらのいくつかが赤裸々に語られている。
私は、以前、落合がナゴヤドームで圧倒的に強いチームを作り上げるため、ナゴヤドームの使用球を飛ばないボールに変えた、という話を耳にしたことがあった。
それがこの雑誌に詳しく書かれていた。
渋谷真が球団取締役だった井出峻に取材して聞いた話として。
2004年当時の巨人は、強大な戦力を誇っていた。中でも四番級を集めた打線は、圧倒的な破壊力があった。
本塁打は、守備では防げない。
落合は、本塁打を量産する巨人打線の迫力を目の当たりにし、被本塁打を減らすために使用球を飛ばないボールに変えたのだ。
飛ばないボールに変えたのは、巨人、横浜、ヤクルトとの試合。
その理由は、前年の2003年のチーム本塁打数から見えてくる。
巨人:205本
横浜:192本
ヤクルト:159本
広島:153本
阪神:141本
中日:137本
つまり、落合は、中日が最も貧弱な打線であるがゆえに、富強な打線を持つトップ3の球団に対し、使用球を変えて投手戦に持ち込もうとしたのだ。
2004年の中日は、チーム本塁打数が5位に31本差をつけられて最下位、チーム安打数も最下位、チーム打率も5位にあえぎながら、リーグ優勝を果たす。
落合は、計算できる投手力、守備力、機動力を鍛え上げるとともに、さらに使用球までもを味方につけたのだ。
本塁打数や安打数、打率が下がってしまうデメリットには、目をつぶってまで、投手を中心とした守りの野球に徹した。
「プロ野球の華」と呼ばれる本塁打をプロ野球ファンは最も見たがる。しかし、そんなファンサービスは不要だ、と言わんばかりに、犠牲にした落合。
2004年の中日のチーム防御率は3.86で1位。失策数も45で最少。盗塁数は95で2位。犠打数は101で1位。
そこには、既に8年間の黄金時代到来を予見させる数字が並んでいた。