ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第43章
落合が『嫌われた監督』の著者にかけた衝撃の別れ言葉
『嫌われた監督』の著者鈴木忠平氏は、落合の監督退任と時を同じくして中日の担当記者を外れている。
鈴木が落合にそれを伝えに行ったとき、落合は、こんな言葉をかけたという。
鈴木は、そんな別れの言葉に衝撃を受ける。これまで「俺の話はしない方がいい」と言った取材対象者に出会ったことがなかったからだ。
きっと鈴木は、当時から今までもそんな取材対象者に出会わなかったであろうし、これからも出会う可能性はかなり低いだろう。
インタビューを受けるような取材対象者は、ある程度の成功を収めた者だから、自らのやり方が正しいと自信を持っている。
「俺のやり方が正しいとは限らない」という発言は、まず出てこないはずだ。
たとえば企業では、役員クラスの権力者のうち、発言力の強い者がやり方を決めていくことが多い。
それが正しかろうが間違っていようが、すべては正しいという前提で事が進んでいく。
下の者たちは、目的と照らし合わせて、やり方が間違っているという確証があったとしても、従わざるを得ない。
そして、企業は、誰も間違いを認めず、誰も責任を取らないまま沈んでいくわけだ。
落合は、責任を自分1人で取ることを前提に、「勝つこと」という契約のために、情を捨て、勝つこと以外のファンサービスも切り捨てた。
常に波風を立てながら、1つの目的のために突き進むやり方。
その8年間を、落合は「正しいとは限らない」という一言で片づけた。
つまり、目的が異なれば、落合のやり方は、間違いになりうるわけだ。
落合の場合、「勝つ」という目的があったために、勝つための選択をし続け、実際に結果を出して、そのやり方が正しいことを証明した。
だが、プロ野球が興行である以上、「勝つ」よりも「利益を出す」方を上位の目的とする者も多い。
「利益を出す」方が目的ならば、ホームランバッターばかりを集めたり、派手なアトラクションをやったりするのも「正しいやり方」になるかもしれない。
つまり、そのとき求められる目的に合致するやり方が正しいのだから、その場所で見たものを自分で判断するしかない。
生活スタイルの大きな変化やネットの進化で、一人一人の判断が重要な世の中になったからこそ、落合の言葉は、大きく響く。