ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第50章
落合の監督としての素質を見抜いていたのは川上哲治だった
野球雑誌の『Number』が落合を取り上げていたので、購入してしまった。
皮肉なことに、落合が中日の監督を退任して以降、年々落合への世間の評価は上がり続けている。
誰が中日の監督やコーチになっても、落合の成績に近づくことすらできないからだ。
今回、『Number』を読んで、私が強く印象に残ったのは、『異能の解説者はなにを観たか。』という章だ。
なぜなら、落合が現役引退後、監督になるまでの間に解説者として活動していた5年間も描いていたからだ。
落合は、現役時代と監督時代があまりにも有名なため、その間の解説者時代がほとんど語られない。
しかし、『異能の解説者はなにを観たか。』では、解説者となった落合がキャンプで12球団すべてを回り、ひたすら選手を観察し続けていたことが描かれる。
そして、最も目を引いたのがこの記述だ。
私は、落合が森祇晶に頼まれ、2001年2月に横浜ベイスターズの臨時コーチを務めたことは知っていたが、巨人のキャンプで川上哲治と親密に話していたことは知らなかった。
森祇晶と川上哲治。
この2人の共通点は、監督としての成績が突出していることだ。森は、監督11年で8回優勝。川上は監督15年で11回優勝。それぞれ、秋山・清原・デストラーデや王・長嶋といった大打者が有名だ。
しかし、同時に森も、川上も、投手を中心とした守りの野球を作り上げ、長期間にわたって安定した成績を残した。
それゆえに落合は、彼らの監督としての考えを学ぼうとして会話をし続けたのだろう。
選手をひたすら観察し続ける。そして、名監督の野球論を吸収する。
空白の5年間とも言える解説者時代、落合は、明確な意図を持って、名選手から名監督への脱皮を図っていたのだ。
そして、川上哲治もまた、そんな落合の姿を目にして、名監督誕生を予言していた天才である。