曽水に生きて 成瀬正成 中

8 元服、そして初陣「小牧長久手合戦」

月日は流れ、小吉は鍋助が浜松城で共に過ごすようになり、1年余りが過ぎた。その間に小吉も大きく成長し、そろそろ元服を迎えても良い年齢になっていた。いつその時を迎えても良いように、小吉は槍の稽古に余念がなかった。その稽古に、いつの頃からか、兄の近くにいたい鍋助も同行するようになり、そして鍋助も小さいながら、槍の稽古をするようになった。
父正一は、天正10年12月に甲府郡代の平岩親吉の補佐役として甲府奉行となり、その折に再婚した。翌年には、その再婚相手との間に清吉という男子を設けた。そのため、正一はいよいよ浜松に戻らなくなっていた。

天正11年という年は、いろいろなことがあった。前年に、織田信長が家臣の明智光秀に、京都の本能寺で誅殺されたことで、織田信長の目指していた「天下統一」の流れが一変した。天下は信長の後を引き継ごうとしていた羽柴秀吉と主君徳川家康公が2分する乱世を迎えていた。

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