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オブリガード、ケンペス。永遠に続くジェフ千葉サポーターとの絆

このnoteは2017年11月29日に書いたブログに追記したものです。
あれから7年、ジェフはまだJ2にいます。8年目の命日にはJ1昇格が決まっていることを祈って。


日本時間2016年11月29日。ブラジルのサッカークラブ、シャペコエンセの選手、関係者が搭乗した飛行機が、コロンビアのラ・ウニオン山中に墜落した。彼らは南米のヨーロッパリーグに相当する大会、コパ・スダメリカーナの決勝戦が行われるメデジンに向かっていた。犠牲者は71人。ほとんどの日本人は、この悲劇を伝えるニュースによって、地球の裏側にあるこのクラブの名前を初めて聞いたはずだ。

しかし、ジェフユナイテッド市原・千葉サポーターの多くは「シャペコエンセ」の名を知っていた。2013~2014年シーズンに在籍し、2013年にはJ2リーグの得点王に輝いた選手、ケンペスが所属しているクラブだったからである。
シャペコエンセには他にも、Jクラブに在籍経験のある監督、選手が多数在籍していた。それぞれの監督、選手たちが、それぞれのサポーターたちと、それぞれのストーリーを持っていたことだろう。


事故から今日でちょうど1年。この節目に、ジェフサポーターとケンペスのストーリーを書き残しておきたい。

本文は、2013年、2014年シーズンを振り返り、事故後のジェフサポーターの活動、続いていく絆の話を綴る。もしここに書かれていないエピソードがあれば、遠慮なくコメント欄に書き込んでほしい。

2013年—3度のハットトリック、得点王。

「セレッソであんまり活躍できてなかった選手でしょ?大丈夫かなあ」


J1のセレッソ大阪から、J2のジェフ千葉に彼が移籍してくると発表されたとき、どちらかといえば不安な気持ちが勝っていた。前年のエースストライカーだった藤田祥史(シーズン15得点)が移籍し、彼の穴を埋める必要があったジェフ。ケンペスが2012年シーズンに残したJ1リーグ戦27試合出場、7得点という数字は、圧倒的なストライカーと言えるものではない。しかも藤田は、FWながら献身的な守備での貢献も大きかった。当然、ケンペスはJ2よりレベルの高いJ1でプレーしていたことを考え、ある程度やってくれるのではないかという希望は持っていたが。


しかし、我々はすぐに彼の力を思い知ることになった。

開幕2試合目で2ゴール。そこから3試合ノーゴールが続いたが、第6節で4ゴール。第7節でもゴールを決め、また3試合ノーゴールからの2試合連続ゴール。出場停止を挟んで2ゴール。3試合ノーゴールからの2ゴール……決める時期は決めまくるが、ダメな時期はサッパリ。だがダメな時期であっても、彼は常にゴールの匂いを放ち続けていて、相手選手にとって脅威であることは明らかだった。

この年は実にシーズン161本のシュートを放ち、ポストに当て、クロスバーに当て、キーパーに当てて、それでもねじ込み続けたケンペス。反面、フリーで楽々ゴールというようなシーンで外すことも目立った。ドカベンの岩鬼のような選手という表現が正しいかどうか……しかし岩鬼のように、華麗なテクニックやファンタジックな発想がなくても、そのパワフルなプレーは我々を大いに熱くさせてくれたことは間違いない。

終わってみればこの年のケンペスは、ハットトリックを3度記録するなどリーグ戦計22得点を挙げ、J2得点王に輝く大活躍。しかしチームはJ1昇格プレーオフ準決勝で敗退。(徳島ヴォルティスと1-1で引き分けるも、J2リーグ年間順位で上回る徳島が決勝に進んだ)昇格の願いは来シーズンに持ち越しとなった。

2014年—仲間思いの優しい男との別れ

陽気で、パワフルで、ムラがあり、仲間思いで、でも実は繊細という、イメージ通りのブラジル人助っ人FWだったケンペス。これまたイメージ通り、少々ふっくらした姿でキャンプイン。それでも去年よりコンディションは良さそうで、2年連続得点王、J1昇格が期待された。

しかしチーム状況も悪く、「ケンペスさえうまく封じればジェフの攻撃力は半減する」という対戦相手の研究も進んだのか、彼にいい形でボールを渡すことができない場面が増えた。それは、ジェフの勝ち点の伸び悩みに直結し、6月23日に当時の鈴木淳監督が解任。関塚隆新監督が就任すると、第28節が最後のスタメン出場となり、その後はスーパーサブとして起用されることとなった。2013年中盤に加入した森本貴幸が、ここにきてようやく調子を上げてきたからだ。

森本はそこからの14試合で8ゴール。ケンペスはそこまでの28試合で10ゴールだったわけで、ゴール数だけを見ればスタメンの変更は正しかったことになる。そして、「なんとか森本を封じてもベンチからケンペスが出てくる」というのは、相手チームにとってさぞ厄介だったはずだ。実際、ケンペスは第38節、41節、42節には途中出場からゴールを決めている。シーズン終了時までに積み上げていた13ゴールは、この年もチームトップだった。

そしてジェフでの最後のゴールが生まれた、第42節カマタマーレ讃岐戦。

森本が相手選手との競り合いで頭部を接触。脳震盪を起こし、救急車で搬送される事態に。急遽投入されたケンペスは、前半アディショナルタイムに豪快なシュートを叩き込んだ。クロスバーを吹き飛ばすかと思われるような強烈なシュートは、本当にケンペスらしいシュートだった。

ゴールパフォーマンスで森本の背番号である11のジェスチャーを見せ、試合もそのまま1-0で勝利。この勝利によって、ジェフは順位を争っていたジュビロ磐田をかわし、J2過去最高順位の3位に食い込んだ。

しかし、ジェフは前年と同様、昇格に失敗する。味の素スタジアムで行われたモンテディオ山形とのプレーオフ決勝戦で、無事復帰した森本がスタメン出場。ケンペスは1点ビハインドの後半23分から出場するも、ゴールネットを揺らすことができなかった。

前年に涙を飲んだ「引き分けの場合、リーグ戦年間順位上位チームが勝ち抜ける」というレギュレーション。1点取れば、J1に行けた。おそらく、誰よりもその1点を取りたかったのが、ケンペスだっただろう。森本に終盤スタメンを譲ったとはいえ、2年間のリーグ戦で35ゴール、天皇杯で3ゴールを決め、ジェフに数え切れないほどの勝利をもたらしたのだ。

後半アディショナルタイム、DFからのロングボールに森本が抜け出し、ゴールライン際から走り込んできたケンペスにパス。ガラ空きのゴールにダイレクトでシュートを打つには少し歩幅が合わず、反転してのシュートはGKに阻まれた。

ジェフをJ1に導いたであろうケンペスの39ゴール目は、文字通りあと1歩のところで生まれなかった。

2015~2016年、2023年—永遠に続く絆

年が明け、1月14日。ケンペスの契約満了が発表された。起用のされ方から多くのサポーターが覚悟はしていたと思うが、それでもショックは大きかった。そのショックを、契約満了の発表とともに書かれていたコメントが少しだけ和らげてくれた。

2年間チームのために戦えたことは誇りに思います!得点王も取れましたし、たくさんの喜びを皆さんと一緒に共有できたことは一生忘れません。今年も昇格できなかったことは悔しかったですが、最後までサポーターが一緒に戦ってくれたことは感謝しています。私のサポートをしてくれた全ての人々に心より感謝します。
私はジェフを離れますが、ジェフを応援してます!1人のジェフサポーターが増えましたね!本当にありがとうございました!

「サポーターが増えた」—2016年シーズンに在籍していたブラジル人FWエウトンも、契約満了に伴うコメントで同様の表現を使っていた。ブラジルではよく使われる表現なのかもしれない。チームを離れても、一緒に戦った日々は色褪せることなく、これからも一緒だ—そう思わせてくれる、素敵な言葉だ。


気づいているサポーターはあまり多くないと思うが、ケンペスが得点した試合でジェフは無敗だった。彼のゴールは固め取りが多かったゆえ、得点した場合は負け試合にならない可能性は高かったのは確かだが、やはり彼のゴールがチームに勢いをもたらしてくれたのだと思う。そういう意味でも彼は”エースストライカー”だった。


その後、ブラジルでプレーしている彼の活躍はたびたび届いてきた。2016年シーズンはブラジル全国選手権で16ゴールを挙げたようだが、そのたびに現地メディアやクラブの動画ツイートをリツイートしてくれるジェフサポーターがいたからだ。

どうやら向こうでも元気でやっているらしい。人気もあるし、相変わらず難しい体勢からのゴールばっかり決めていて安心する。ジェフ時代、チームメイトに「ケンペスのあとにベンチプレスをやろうとすると、必ずメチャクチャな重さに設定されている。」と言われたエピソードもあるほどパワフルだった肉体も衰えていない。現役の間でも、引退してからでも、またどこかでジェフと道が交われば……そう思っていた。

11月29日、日本時間15時ごろ。ケンペスの所属するシャペコエンセの選手、関係者を乗せた飛行機が墜落したとの情報が流れてきた。一部では墜落ではなく不時着との情報もあり、だとしたらあのタフガイはムチウチくらいですんでいるのではないかという期待も持っていた。


さまざまな現地メディアからの情報が錯綜する。墜落した飛行機にケンペスは搭乗していたのか?搭乗していたとしたら、生存者リストに彼の名前は含まれているのか?ツイッターにかじりつき、現地情報を翻訳して伝えてくれる有志のアカウントが「ケンペスの生存を確認」とツイートしてくれることを祈っていた。


しかしその祈りもむなしく、22時ごろ、複数のブラジルメディアがケンペスの死亡を伝えたという情報が流れた。

悲しみに暮れるよりも、行動することを選んだサポーターがいる。ケンペスの在籍当時交流があった神田外語大学の学生が、遺族にメッセージフラッグを送るための寄せ書きを募った。神田外語大学はジェフと包括的連携協力協定を締結しており、ジェフの外国人選手、家族が学生と交流する機会が多いのだという。考えてみれば、彼らにとって日本は遠い異国の地だ。言葉や文化を理解してくれる土壌がきちんとある場所は、さぞ心強いだろう。ケンペスの息子と一緒に大学の広場でボールを蹴って遊ぶこともあったという。

当時の通訳だったマルコ氏はこのとき大宮アルディージャに所属。シーズン終了後ブラジルに帰国する際、フラッグを持ち帰り遺族へ渡してくれることになった。


1枚目のフラッグはすぐメッセージでいっぱいになり、2枚目を用意した。自分も、機械翻訳した拙いポルトガル語で「ジェフが存在する限り、あなたの名前はジェフの歴史の中に刻まれ続ける。ありがとう」というようなことを書いた。得点王にまでなった選手だ。ジェフどころか、Jリーグが存在する限り彼の名前が忘れられることはない。


寄せ書きを募る場所を提供してくれたジェフのクラブハウスは、サポーター同士の交流の場所になっている。知らない者同士だが、いつにも増して話が弾む。内容はケンペスのことばかりだ。

—ケンペスの契約満了が発表されたとき、大泣きした
—ジェフでの最後の試合が終わったあと、着ていたユニフォームを投げてくれた
—フットサルをしていたら偶然通りがかったケンペスが混ざってくれた。シュートは豪快に外していた……

ケンペスの思い出話は、尽きることがなかった。クラブハウスの食堂で働いている方や、他クラブのサポーターも寄せ書きに来てくれた。

ジェフサポーターの行動はもう1つあった。当時中学生だったサポーターの発案で、横断幕を制作したのだ。完成するまでには紆余曲折あったようだが、有志を募り、手作りで出来上がった。この横断幕は毎試合掲出され、偉大な得点王への感謝を表し続けている。

ケンペスと交流のあった選手たちの中でも、特別強い思いを持っているのが町田也真人だ。

背番号10を背負った2017年シーズン、ゴール後に天を指差すゴールパフォーマンスを披露するようになった。これはケンペスが多く披露していたゴールパフォーマンスで、彼に捧げるものであるのは明らか。プロサッカー選手としては少し頼りなく感じた身体の線はずいぶん太くなり、体格の大きな相手を吹き飛ばすようなシーンも増えた。ジェフの小さな巨人の心のなかにも、いつもケンペスがいる。


2023年、J1リーグ優勝を果たしたヴィッセル神戸。そこにもケンペスとの絆を感じさせてくれる選手がいた。ジェフアカデミー出身で2016年までトップチームに在籍していた井出遥也だ。

良いシーンではないが、当時のサポーターが印象深く覚えているシーンがある。ペナルティエリア内で相手GKをジャンプしてかわそうとした井出だったが、相手GKの顔面に井出の足が接触してしまい、退場処分となった。

詰め寄る相手選手たちと井出の間に入るケンペス。こういったファウルが起こるとお互いにかなり興奮することも多く、彼の行動がなければもっと混乱が続いた可能性もあった。仲間想いの彼の性格が出たシーンだった。

井出遥也は今、神戸にいる。そして、神戸の初優勝を決めた試合で先制ゴールを挙げた。

指でL字を作り天を指すポーズ。これはケンペスが行っていたゴールパフォーマンスと同一のものだ。井出は今年愛犬を亡くしており、これはイニシャルのLを示したポーズであるということだが、ケンペスのことを意識していたり、頭をよぎっていてくれただろうか。
仮に偶然だったとしたら、ケンペスの命日が4日後に迫ったこの日、彼が井出を祝ってくれたように感じてもいいだろうか。


そしてその次の日。奇しくも、ケンペスのジェフでの最後の試合となった味の素スタジアムでの2023J1昇格プレーオフ準決勝。ジェフは東京ヴェルディに1-2で敗北。ケンペスが去ってから10年目のシーズンも、ジェフはJ2で戦うことが確定した。

でも、君以来の得点王だって狙える若手が加入したんだ。ずいぶんサポーターも入れ替わったけど、俺たちみたいに残ってる連中もいる。ジェフはまだまだこれからさ。



2016年12月4日と6日、聖イグナチオ教会で行われた追悼ミサには、多くのサポーターと、ケンペスと同時期にジェフに所属していた選手など、多くの関係者の姿があった。彼がみんなに愛されていたことがわかった。ミサが終わったあと、選手たちはそれぞれの家族と一緒に輪になって談笑している様子だったが、きっとそこでもケンペスの話をしていたのだろう。


ジェフのクラブハウスでは半旗が掲揚され、ケンペスの死を悼んだ。そしてナビスコカップの優勝トロフィーなどが飾られているスペースに、ケンペスのメモリアルフォトが展示された。多くのサポーターが写真を撮っていて、その写真を見返すたび、それぞれが彼のことを思い出すのだ。



ケンペスが日本で所属していた2チーム、セレッソ大阪はJ1昇格とルヴァンカップ制覇、ACL出場権獲得を果たしたが、ジェフは2017年シーズンも昇格に失敗。天国のケンペスにいい報告をすることはできなかった。しかし、食事改革やエスナイデル監督の志向するあまりにもアグレッシブなサッカーによって、選手たちが例年のジェフにはないパワフルさを得たことは間違いない。もしかしたら、あのころは「メチャクチャな重さ」だったケンペス用のベンチプレスを、みんなが挙げられるようになるかもしれない。


事故で亡くなられたすべての方々のご冥福をお祈りします。


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