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世界への前奏曲のような、小さな音楽たち。

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クラシックを中心に、ちいさくて素敵な曲を少しずつ紹介します。
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#クラシック

《孤独なシュプール》 世界への前奏曲のような、小さな音楽たち。Part.10

このまえ、「孤独なシュプール」という曲を書いた。 この曲のイメージのみなもとになったのは、フィンランドの作曲家シベリウスが書いた同名の作品。 同名というか、わたしが勝手にあやかって、オマージュを込めて、同じ題名の曲を作ったということなのだけれど。 シベリウスは、とっても長生きした。 1865年に生まれて、1957年に亡くなった。91歳。 わたしの大好きなおじいちゃんだ。 わたしは、シベリウスの作品に漂う静謐さが好きで、ピアノなどの小さな作品をよく聴いていた。

世界への前奏曲のような、小さな音楽たち。Part.9 秋の透明な孤独。

ひとりでいることがけっこう好きです。 なんていうのかな、ひとりで本読んだり、音楽を聞いたりするときって、いい時間だと思うのね。 その孤独感は、さみしい!かまって!みたいな気持ちとはちょっと違って、なんだかこう、あたたかい孤独感。世界が満ちてくるような孤独感。 あーぜんぜんうまく言えない…。たぶん、わかる人いてくれると思うんだけど、どうかな。 というか、みんなひとりの時間って好きなんじゃないかな。 何をしてその時間を過ごすかは、ひとそれぞれだと思うけど。 * 秋になると

世界への前奏曲のような、小さな音楽たち。Part.8 妖精たちの祝福

この世界は、祝福で満ちあふれているとおもう。 わたしはこの世界には妖精がいて、世界は妖精たちの祝福であふれてるとおもっている。 ほんとうに、そうおもっている。 耳を澄ませば、きらきらしてて、透きとおってて、にぎやかで、しずかで、あたたかいおとが聞こえてくる。 目を凝らせば、たくさんの花や樹や果実のいいにおいにかこまれて、あっちへこっちへ飛びまわっているすがたが見えてくる。 妖精たちはみんな、楽しそうにおしゃべりしている。 近くの八百屋さんのおばあちゃんはお向かいの天

世界への前奏曲のような、小さな音楽たち。Part.6 秋の息づかいは木管五重奏

空を見上げたら、うろこぐも。 日射しも少しずつ穏やかになってる。 道ばたの樹の向こうに夕日が透けて、風がやさしく通りすぎていく。 秋の息づかいだ。 ちょっとつらいことが続いていたから、その息づかいがなんだかあたたかく感じて、ふと木管楽器の柔らかな音色につつまれたい気持ちになった。 フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン。 この五つの楽器が集まると、《木管五重奏》になる。うん、聴きたい。 なんかないかな、木管五重奏の曲。探そう。 あれこれと探していると、

世界への前奏曲のような、小さな音楽たち。Part.5 小麦のダンス

わたしは、麦畑を見たことがない。見てみたい。きっと、こがね色に実ってさわさわ揺れているんだろうなあと思う。どこかの秋空の下で、どこまでも広がって。 《世界への前奏曲のような、小さな音楽たち》シリーズでは、クラシックを中心に短めの音楽を紹介しています。どんな世界にこの曲は捧げられたんだろうと思いを馳せて、一緒に聴いてもらえたらなと思っています。 今回は、オーケストラの曲。 アルゼンチンの作曲家、ヒナステラさんの Danza del Trigo、日本語にすると「小麦のダンス」

世界への前奏曲のような、小さな音楽たち。Part.2 星たちの子守唄

前奏曲は、物語でいうとプロローグ。 プロローグのあとに、物語が始まる。 はるかに広がる世界を、どきどきしながら覗いてみる。 そんな気持ちにさせてくれる、プロローグのような音楽を紹介していくシリーズ、2回目です。  わたしはピアノをよく弾くけれど、そんなに難しい曲は弾けない。  シンプルで綺麗な曲を探すのがずっと好きだった。  日本で出版されているものは有名な曲ばかりで、すぐ飽き足らなくなった。地方にいたから、海外の楽譜はほとんど無かった。  なにかの用事で大阪にい

世界への前奏曲のような、小さな音楽たち。

というような、だれかのツイートをみた。 もう、うろおぼえだけど「世界への前奏曲のような小さな音楽をたくさん書いた作曲家がいる」みたいなことをいっていた。 わたしは、とてもその表現が好きになった。 うろおぼえだけど。 いろんな世界にささげられた曲。前奏曲。 その曲が終わっても、世界は続いていく。目の前に広がっている。 物語でいえば、プロローグだよね。 プロローグのあとに、おはなしはいよいよ始まる。 どんなおはなしなんだろう。 どんな世界が広がっているのだろう。 その前