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「発達段階」と「光と闇」

こんばんは。
少し、ご無沙汰しておりました。もう12月ですね。

この2週間、かなり自己と向き合うテーマが多くアウトプットに到りませんでした。
そのおかげでかなり内面を煮詰めることが出来たので、また色々と記していこうと思います。


発達段階が低いから出来る

ある方の問いに「発達段階が低いからこそやれることがあるのではないか?」というものがありました。

これは、非常に良い問いであると感じます。

最も分かりやすい解答の1つは「短期的な成果という点においては大いにある」といえるでしょう。

例えばスポーツや格闘技の中で、常に相手の健康や気持ちに寄り添っていては試合に勝つことは出来ないでしょう。

マクリーンの三位一体脳モデルにおいても、爬虫類脳の攻撃的な反射の部分を働かせなければ、事故や身体の危機に瀕した時に対応することは出来ないでしょう。
向こうから顔面に向かってボールが飛んできている時に「あ、ボールが来ているな、誰が投げたのかな、どんな気持ちで投げていたのかな」と考えていたら、たぶんボールは顔面に直撃します。

ベンチャーなどにも、立ち上げのタイミングでは段階が低い方が成果に繋がることもあるでしょう。
仲間や周囲の人達を想いやらず、身勝手でワガママ、自己の欲求や思考に素直の方が、短期的な成果を獲得する上では強い力を持つといえます。


含んで超えるという意味

常々発達は含んで超えるものだとある程度学んでいる人であれば知っているはずです。
しかし、実際に自らの(或いは支援者としての)体験として低い発達段階や攻撃性が表面化した際に、落ち込むことがあります。
また、平常時にステートを保った状態で高い発達段階に自己が在る際に、それまでの発達段階は消え去ったと感じる人が多いはずです。

これは本当によくあることで、我々がそう思い込みたいという欲求でもあります。
発達において人間は思っている以上に、自己を高く評価し、高く見積る傾向があります。

このテーマの1つ大きなポイントは、下位の発達段階や爬虫類脳や攻撃性などの「光と闇」の両面を正しく捉えていないことが上げられます。
higher is betterであり、上昇が善なるものであり、常に「良くなり続ける」ことが正しいという与えられた物語に身を置く我々にとって、違った段階や違った特性に「それぞれ価値と危険性がある」という意識が非常に持ちにくいのではないでしょうか。

だからこそ、全ての段階、特性、そして個人や組織や社会や技術においてもおしなべて光と闇が存在し、その両面を受け入れていくことが重要になります。

人間や社会が持つ複雑性、両価性を理解し受け入れていくことが、大きな気付きへと近づく道になることがあります。

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西村太嘉
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