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不安のその先に

私が不安障害と診断されたのは20歳の誕生日を迎える月でした。

自ら生きにくさを感じていたのは8歳の頃からだと思います。何をするにも不安がいつも隣にいて、例えば授業で字を書く時も、定規を使っても手が震えて線が引けなかった。扉を開けるのも手が震える。上手くやらなきゃ、誰かが見てる、しっかりしないと。そう思えば思うほど隣から見ている“完璧君”は鋭い目つきになって私を見ていた。そう思うほど、忘れ物は増えて、上手くできないことばかり目について、また完璧君が私を叱って。それが自分自身だと気がついたのはつい最近で。ましてや地獄だったのは本読みや発表の時間。

声が出ない。

出したいのに。

やっと出た声は蚊の鳴くような声…よりも小さい。鼓動の音がうるさくて私は泣いてしまった
不登校から復帰してから卒業までは先生の配慮で、本読みや発表はクラスの暗黙ルールで飛ばしてもらっていました。ところが家では普通に本読みができました。寧ろ、ハリーポッターの分厚い本を四年生の頃にはペラペラと声に出して声真似なんかして表現が楽しくて読んでいたのを覚えています。兄姉に「静かに読んでや」なんて言われるほどに。笑
上手く出来ないことが悔しくて、ピアノもクラシックバレエにも挑戦しました。1人の時はできるのに舞台では、あぁやっぱり。


そんな私は中学で、のだめカンタービレをみて「のだめになりたい」そう強く思いました。
あんなにも自分の世界の中で踊って弾いて周りなんて気にせずに表現したい。だけどそんなに簡単に変われない。

高校ではマスクをしてできるアルバイト(スーパーの品出し)でお金を貯めてはライブハウスを見に行ってミュージシャンを見ながら、ステージに立つ自分を想像する毎日を繰り返した。


不安障害と診断された20歳。1人で精神科の扉を叩きました。
カタカタとパソコンを見つめ淡々と
「あー、社交不安障害だね、お薬飲んだらよくなります。頑張りましょうね」
なんだかすごくあっさりとした言葉に聞こえた。
まぁ、何人も見てはるからお医者さんからしたらそうなるよなぁ。そう思った。

大学ではマスクをして4年間過ごしました。
「いぬまるの顔どんなんやっけ?いつもなんでマスク?風邪?」
そう声をかけられることもしばしば。
卒論発表では先生が
「発表の時はマスクくらい外しなさい。マナーですよ」
みんなにとってマスク“くらい”でも私にとっては裸を見られるような気持ちでした。結局とらずに発表を続けました。先生、頑固でごめん。

卒業し、服薬をはじめてから20キロ太った。それが嫌でお薬を勝手に辞めて離脱症状で大変なことになり、医師が怒ってくれた時期もありました。コロナ禍で世間がマスクをしだした時期。マスクをしていても質問されなくなった。
質問に答えなくてよくなり、安堵したことが印象的でした。

気がつけば、歳を重ねて…
今年の春、ふと「このまま死んだら、表現できる自分はいないまま?」そう思ったらいてもたってもいられなくて。



気がついたら家を飛び出してネットでお店を検索して、はじめてのお店の扉をあけて舞台に立って音楽を始めていました。人の前で、自分の言葉で、自分の弾く楽器で。決して上手くはない。でも、上手くなくて良い。その時に横にいた“完璧君”はいなくなっていました。死ぬまでに表現し続けられるならそれがいい。

勿論、どの世界もそう簡単には色々とうまくいかないし、葛藤は毎日。でも、私は今の自分が好きです。これからきっと、もっと好きになります。

もしこれを読むあなたが、不安な何かに襲われていたら。明日が怖かったら、無理やり何かしなきゃって焦りに潰れそうになっていたら。
とりあえず息を吐いて、何十年かかっても、あなたがあなたを好きになれたらと願います。


自分の話ばかりしてしまった。くぅ
読んでいただいてありがとうございました。

今日も日本のどこかで歌っています。

いぬまるあゆみ

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