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百二話 不信不義

 「あくまで不拡大方針に基づき、十一日、ようやく停戦協定を結んだ。しかし、それ以前も、それ以後も、支那側の嘘・流言りゅうげん・約束破り・騙し討ちの連続さ。結局、内地でも北支事変と称され、十三日には大紅門事件、二十五日には廊坊事件、二十六日には広安門事件が起きた」
 「事件続きですね」
 「ああ、いずれも支那側の協定を無視した暴虐で、我が方に死傷者が出た。馬耳東風、不信不義とはこのことだ。とどめは、二十九日午前三時から始まった通州事件だ」
 「あ、通州事件は知っています。北京の東に隣接する通州区で起きた事件ですよね。自分は小学四年生になっていて、大人の新聞を読むようになっていましたから、大きく載っていたのを覚えています。守備隊や特務機関が急襲をうけた他、三百人いた邦人居留民が猟奇的な大虐殺に遭ったとか・・・」
 「そうだ。守備隊長も戦死、特務機関は、機関長細木中佐以下全員戦死している。同胞居留民は、家屋をすべからく破壊され、略奪、暴行を受けた上で、女子供までみなごろしにされた」
 「鬼畜の仕業ですね!」
 浅井の顔は赤らみ、怒りで口元を歪め、震えている。
 いっちょ前に憤怒の表情を見せている。
 「ああ、人間じゃねぇよ。そもそも通州は、冀東防共自治政府(長官=殷汝耕)で、新日的だった。そのため、我が特務機関が、世話を焼き、保安部隊を育成していたんだ。その保安部隊が、やったんだからな」
 「奴らは何故裏切ったのでありますか」
 「南京放送のデマを信じたんだよ。日本軍が盧溝橋事件来、大敗している。宋哲元軍は通州に来るから、きょうび日本側に協力していると酷い目に遭うと。事実は逆だったんだがな」
 兵長は吐き捨てるように答えた。

 実はこの頃、謎の第三者勢力が暗躍していた。
 夜間頻りに爆竹が鳴る。日支両軍がいない所で銃声がする。両軍の狭間で隠れて射撃し、互いに相手方の射撃と思わせ、戦闘を煽る。百姓に紛れてデマを流す、など。
 これらの攪乱は、いずれも共産軍の謀略であることが、戦後わかった。
 
 また、内地でも、それ以上のことが進行していた。
 時は、近衛内閣で、No.2の書記官長は風見章。風見はゴリゴリの共産主義者だった。大阪朝日新聞や国際通信、信濃毎日新聞社を経て、衆院議員になるが、信毎の主筆時代には、マルクスについての連載や共産主義賛美の社説を書いていた。
 この近衛と風見が共謀し、盧溝橋事件後の七月十一日、日曜日にもかかわらず、臨時閣議を開く。今事件を「北支事変」と名付け、現地では停戦協定が締結していたが、かまわず派兵及び経費支出を決め、即マスコミに発表。翌日月曜の朝刊に間に合わせた。
 この際、現地協定はあてにならぬ旨、ラジオで流させ、号外も配らせる念の入れよう。世論を焚き付け、煽り、扇動して、全面戦争に導く。
 近衛は、内外の共産主義者を利用して、日本を敗戦せしめ、新政権の樹立から昭和天皇の退位まで企図していたという。 
 一方、風間も革命を画策していた。朝日新聞記者でソ連のスパイでもある尾崎秀実ほつみを内閣のブレーンにする。尾崎は、記者上海支局時代から共産勢力と太いパイプを築いていた。風間、尾崎ともソ連を崇拝しているため、北進はない。南進、対米英をそそのかし、大陸の共産軍に利する戦いをした上で、連合国に負ける。その過程において、内地で左翼革命が起き、ソ連やコミンテルン(国際共産党)のバックアップを得て共産日本が生まれる。そうしたシナリオを描いていた。

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