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百四話 北京入城

 「こうして我が皇軍は北京を平定し、八月八日北平入城の日を迎えた。午後二時半から行われた閲兵式では、紫禁城正門の天安門から始まって、電車通等、粛然と行進した。広安門事件以降、約二千人の邦人居留民が十三日間籠城していたんだが、万歳の叫びと共に怒涛の如く歓声が上がったよ。日の丸の旗を振って皆泣いていた」
 遠い目で、過去の栄光を話す寺尾。
 「兵長殿、我が聯隊が誇らしいです!」
 浅井は感極まり、目から水道水のように泪を流している。 
 寺尾は、微笑ましいと思いつつ、苦笑してしまった。
 
 「無論、それで一件落着ではない。十月、山西省忻口鎮附近で、閻錫山が指揮する中央軍約三十万に対して、板垣中将率いる第五師団が攻撃していたが戦況は膠着していた。このため、支那駐屯歩兵第二連隊(連隊長=萱島大佐)を基幹とする萱島支帯が天津で編成され、これに我が聯隊の砲中隊が組み入れられることになる。十三日、北京西直門を列車で出発して、翌日夜八時に大同に着く。そこから行軍して平泉附近で萱島支隊入り。第五師団の指揮下に入り、忻口鎮で参戦した」
 「楽勝でしたか?」
 「そんなことあるかよ。敵は、南にある太原の主抵抗線として、全線三十五粁米km余、深さ四粁米km余にも及ぶ天然の要害を利用し、陣地を築いていた。その上、逐次兵力を増強して、十月末には兵力十五万とも言われた。攻撃開始から三週目の十一月三日午前零時、漸く占領するも萱島支隊から百九十五名の死者および四百七十五名の戦傷者が出た」
 「そこまでの大損害が・・・」
 「しかし、直ちに追撃し、五日午後、不眠不休で太原城北四粁米km先まで着いた」
 「どう考えても疲れますね・・・」
 「敵は、地の利があるから、退却も早いんだ。こっちは地理に疎いし、人馬ともに疲労困憊だよ。太原城には多数の住民や第三國人の非戦闘員が残っていたから、一時攻撃を止め、城内に降伏を勧告し続けた。しかし、敵が拒否したため、八日午前七時、城壁への集中砲撃を開始。午前九時十三分頃、萱島支隊が突撃を開始し、東城壁に梯子を掛け、城壁上に日章旗を翻した。翌日城内掃討を終え、十日太原城入城式を挙行。十六日出発までの一週間、ようやく休めた」
 「凄まじいです・・・」
 「それからがまた大変だった」
 「敵の急襲でもあったのでしょうか」
 「いや、行軍だよ。東に毎日三十粁米km、標高千m余の山道を雪と寒さと空腹に耐えながら九日間歩き続けた。二十四日に河北省石家荘に辿り着き、三十日にそこから列車で北京に向かい十二月一日に戻ってきたんだ」

 支那の地理に無知な浅井は、何とも言いようがない。しかし、その過酷さ、大変さは、充分理解できる。
 果たして、自分に同じことができるだろうか。そう考えると不安で圧し潰されそうになった。

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